ギュンター・エッティンガー
![]() ギュンター・ヘルマン・エッティンガー(独:Günther Hermann Oettinger、1953年10月15日 - )は、ドイツの政治家。欧州委員会デジタル経済・社会担当委員(2014年 - 2016年)[1]、2017年より同人事・財政担当委員。バーデン=ヴュルテンベルク州首相(2005年 - 2010年)や欧州委員会エネルギー担当委員(2010年 - 2014年)を歴任した。キリスト教民主同盟(CDU)所属。 経歴シュトゥットガルト出身。早くから政治に興味を持ち、テュービンゲン大学法学部に在学中の1977年に故郷のディッツィンゲンにキリスト教民主青年同盟 Junge Union(JU)の支部を作り、地区の党代表となる(1985年まで)。翌年第一次司法試験に合格して大学を卒業、司法修習に入り、1982年に国家司法試験(第二次司法試験)に合格。2年間税理士事務所で監査人として働き、1984年に弁護士免許を取得して監査事務所や法律事務所で働いたのち、1988年から共同経営者となる。一方1983年から1989年までJUバーデン=ヴュルテンベルク州議長を務めた。この間、1980年にディッツィンゲン市議会議員に初当選。翌年同議会でCDU議員団長。1984年にバーデン=ヴュルテンベルク州議会議員に初当選し、1991年から2005年までCDU議員団長を務める。1999年からはCDU連邦メディア政策委員会委員長。2001年から2005年までCDU北ヴュルテンベルク議長。 1991年以来バーデン=ヴュルテンベルク州首相はエルヴィン・トイフェルだったが、2004年3月になって彼が近々退任を表明するつもりであることが判明すると、エッティンガーは早速その後継に名乗りを上げた。トイフェルが退任を正式表明したのは半年後の10月で、もう一人、州文化教育相のアンネッテ・シャーヴァンも名乗りを上げた。トイフェル自身は彼女の後継を希望したが、12月に行われた州の党員投票では若さで勝るエッティンガーが勝ち、シャーヴァンは後継への名乗りを取り下げた(彼女はのちアンゲラ・メルケル内閣の教育科学相に抜擢される)。エッティンガーは2005年4月21日、正式に州首相に就任した。間もなく4月29日にはCDUの州議長に選出された。 2006年の州議会選挙では自由民主党(FDP)との連立で過半数を確保し、2期目に入った。2007年7月にはヴェンドリンゲン〜ウルム間の新鉄道路線建設でヴォルフガング・ティーフェンゼー交通相、ハルトムート・メードルンドイツ鉄道総裁と合意した。20億ユーロとされる建設費用のうち、9億5千万ユーロを州が拠出することが決まっている。 2009年、メルケル首相の推薦により次期欧州委員会に委員として加わることが発表された。エッティンガーはこれまで欧州政治に関わったことが全くなかったため、欧州議会の一部には反対の声もあったが、ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾ委員長はメルケル首相の提案を受け入れ、要職であるエネルギー担当委員とした。エッティンガーは11月に欧州委員就任を控えてCDU州代表を辞任した。翌年2月9日の欧州議会による第二次バローゾ欧州委員会承認に伴い、翌日エッティンガーはバーデン=ヴュルテンベルク州首相を辞任して欧州委員に就任した。後任の州首相には党州代表の後任でもあるシュテファン・マップスが就任した。 2014年に欧州委員会委員長がバローゾからジャン=クロード・ユンケルに交代し、新たにユンケル委員会が発足すると、エッティンガーはエネルギー担当委員からデジタル経済・社会担当委員に異動となった。2017年には前任者の世界銀行転出に伴い、財政・人事担当委員に異動となった。 家族・人物1994年に結婚し、一男がある。シュヴァーベン方言のきつい訛りと早口な喋り方で知られる。2004年にドイツ連邦共和国功労勲章第一等十字章を受章。 批判![]() ドイツ政界でも右翼に属するエッティンガーの言動は、以前からしばしば批判の対象になっている。
脚注外部リンク
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