1990年、バンドはDGCと契約し、1991年にセルフタイトルのデビュー・アルバムをリリースした。いくつかの好意的な批評にもかかわらず、バンドは同じ時期にニルヴァーナの『ネヴァーマインド』が成功したため、レーベルに無視されることとなった。売れ行きの悪化と、いくつかのツアーの後、彼らはスタジオに戻り、1993年にアルバム『スペイス・イン・ユア・フェイス』をリリースした。本作がバンドの一般市場への参入となった[1]。アルバムは「If I Were A Killer」と「I Do What I Do」というバンドのマイナーヒット2曲をフィーチャーし、どちらもMTVと今は無きラジオ局のZROCKで定期的に放送された。DGCはギャラクティック・カウボーイズとのレコーディング契約を解除し、バンドはマネージャーのサム・テイラーおよびギタリストのデイン・ソニアと別れた。
バンドは1994年の映画『ハードロック・ハイジャック』に「サンズ・オブ・サンダー」という名前で登場した[1][2]。彼らが映画のために演奏したオリジナル曲「Don't Hate Me Because I'm Beautiful」はどこでも入手できず、映画で短い抜粋だけを聴くことができる。
一時的な解散後、バンドはギターのウォーリー・ファーカスを迎えて再編し、メタル・ブレイド・レコーズとの新しいレコーディング契約を得た。1996年に3枚目のアルバム『マシーン・フィッシュ』、および『Feel the Rage』というEPをリリースした。続く1997年のアルバム『ホース・ザット・バッド・ボウト』は、バンドのメタル・サウンドからトーンダウンしたスタイルとなった[1]。
2016年7月4日、ベーシストであるモンティのRockcastポッドキャスト(No. 176)を通じて、プログレッシブ・レコード・レーベルと契約し、オリジナル・ラインナップ(コルヴィン、ハギンズ、ドス、ソニア)で新しいアルバムに取り組んでいると発表した[6]。2017年11月17日に、Mascot Label Groupから、『Long Way Back to the Moon』というタイトルの新しいアルバムをリリースした[7]。
メンバーの動向
モンティ・コルヴィン
1991年から2000年までのギャラクティック・カウボーイズのベーシスト兼バック・ボーカリストであるモンティ・コルヴィンは、2000年にバンド・プロジェクト「Crunchy」でソロのキャリアを開始した。2001年にリリースされたファースト・アルバム『All Day Sucker』は、Crunchyのサウンドを、少しヘヴィなギター・エッジを伴う、楽しくポップなパンクなものとした。Crunchyのセカンド・アルバム『Clown School Dropout』では、バンドの体をなさずコルヴィンがほとんどの楽器を演奏し、雇われたドラマーを引き入れ、ここにきてコルヴィンは定義にさらにクランチを追加した。バンドに影響を与えたのは、前述のギャラクティック・カウボーイズに加えて、ワイルドハーツ、チープ・トリック、フー・ファイターズ、ラモーンズが含まれていた。3枚目のCrunchyのアルバム『Loserville』(2007年)には、カンサスのケリー・リヴグレンによる貢献が含まれている[8]。
2000年のギャラクティック・カウボーイズ解散後のハギンズの音楽活動には、ザ・フレグマティクスなどのアーティストのゲスト参加に加えて、彼のバンド、グリスル (Gristle)との録音と演奏が含まれていた。グリスルのファースト・アルバム『Cold Blue Sky』は、2010年7月17日にダウンロード可能な形式でリリースされた。