ギデオン・ドレーパー
ギデオン・フランク・ドレッパー(英語: Gideon Frank Draper, 1858年7月20日 - 1951年1月24日[1])は、メソジスト派のアメリカ人の宣教師。G・F・ドレーパーとも表記。日本の盲人教育の歴史上重要な人物。中田重治にバプテスマを授けた。 妻のマイラ・エニッド・ヘイブン(マイラ・E・ドレーパー)は、日本で最初に母の日の行事を行った人物として知られる[2]。 生涯1858年アメリカ合衆国のコネチカット州レイクビルに生まれる[1]。1880年(明治13年)マイラ・エニッド・ヘイブンと1月に結婚して日本宣教のために3月に横浜港から来日する[1]。 1881年(明治14年)に両親が来日して、函館に住む[1]。1884年(明治17年)に、東奥義塾に英語教師として赴任した。1886年(明治19年)より、本多庸一牧師の下で弘前教会の宣教師を兼任した[3]。1887年(明治20年)6月2日、唯一度だけ洗礼式を執行した時、5人の婦人とその他の3人が洗礼を受けた[3]。後にホーリネスの指導者となる中田重治もその中にいた[3]。 1888年(明治21年)横浜に住んで、京浜、東海地区を伝道する[1]。1889年(明治22年)横浜南区中村に盲人福音会を設立する、後の横浜訓盲学院である[1]。 1892年(明治25年)函館で伝道する[1]。1893年(明治26年)信州で伝道する[1]。1895年(明治28年)函館訓盲会を設立する[1]。1898年(明治31年)に横浜に帰り、東海関東地区を伝道する[1]。 1939年(昭和14年)に米国との関係悪化のために、娘二人と共に帰国する[1]。1951年(昭和26年)1月24日に米国で死去する[1]。92歳没。ベンチュラ第一メソジスト教会で葬儀が行われた[1]。 脚注参考文献 |