ガンビア (軽巡洋艦)
ガンビア (HMS Gambia, 48/C48 HMNZS Gambia) はイギリス海軍およびニュージーランド海軍の軽巡洋艦。フィジー級。 艦歴スワン・ハンター社で建造。1938年7月24日起工。1940年11月30日進水。1942年2月21日竣工。東洋艦隊所属となる。1942年9月にマダガスカルのマジュンガへの上陸作戦(ストリーム作戦)に参加したほか、インド洋での船団護衛などに従事。1943年6月、イギリスに戻る。 その後、損傷し戦列を離れた巡洋艦の代わりとしてニュージーランドに貸与された。 「ガンビア」はドイツ封鎖突破船捕捉作戦(ストーンウォール作戦)に投入される[1]。1943年12月12日にプリマスより出航し、3日後にHortaに到着[2]。それから軽巡洋艦「グラスゴー」と交代で哨戒を行った[2]。12月23日、アメリカ護衛空母「カード」搭載機が封鎖突破船と疑われる船を発見[2]。「ガンビア」と「グラスゴー」はアゾレス諸島北の哨戒線に着くよう命じられ、プリマスから軽巡洋艦「エンタープライズ」が出撃した[2]。問題の船は封鎖突破船「Osorno」で、航空攻撃を受けるもジロンド川にたどり着いている[3]。12月27日、サンダーランドが商船を発見[4]。それは封鎖突破船「Alsterufer」であった[5]。「エンタープライズ」、「グラスゴー」、「ガンビア」と軽巡洋艦「ペネロピ」が捕捉に向かったが、「Alsterufer」は航空攻撃を受けて沈んだ[6]。その後、12月28日に「グラスゴー」と「エンタープライズ」は「Alsterufer」護衛のため出撃していたドイツ海軍部隊と交戦した。「ガンビア」は軽巡洋艦「モーリシャス」とともにさらに3日哨戒を続け、1944年1月1日にプリマスに帰投した[7]。 「ガンビア」は1944年1月30日にプリマスより出航[7]。スエズ運河を経由して2月19日にトリンコマリーに到着し、東洋艦隊の第4巡洋艦戦隊に編入された[7]。2月22日に空母「イラストリアス」、駆逐艦2隻と共にトリンコマリーより出航し、封鎖突破船捜索を行う(スルース作戦、Operation Sleuth)[7]。「ガンビア」は2月28日にフリーマントルへ向かった[8]。封鎖突破船は発見されなかった[9]。3月7日に「ガンビア」はフリーマントルより出航[9]。船団護衛を行い、10日後にコロンボに着いた[9]。 3月下旬、ディプロマット作戦(空母「サラトガ」を中心とするアメリカ海軍部隊との会合および演習)に参加[9]。次いで4月にコックピット作戦(サバン空襲)、5月にトランサム作戦(スラバヤ空襲)に参加した[10]。6月10日に「ガンビア」を含む艦隊はベンガル湾へ出撃したが敵を見なかった[11]。その後、「ガンビア」はマドラスからコロンボへ艦隊航空隊の人員や物件を輸送した[11]。7月のクリムズン作戦(サバン攻撃)では25日に他の艦と共に艦砲射撃を行った[12]。 10月16日、「ガンビア」はトリンコマリーより出航[13]。途中輸送船「General William Mitchell」、「General George M. Randall」と同道した後、メルボルンを経て11月24日にウェリントンに到着した[13]。 1945年は太平洋艦隊所属で沖縄戦や日本本土への攻撃に参加した。8月9日にはアメリカ海軍第34.8.1任務隊や軽巡洋艦「ニューファンドランド」などと共に釜石砲撃を実施した。 「ガンビア」は1960年に退役し、1968年12月5日に解体場所に到着した。 脚注
参考文献
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