カール (ナッサウ=ウージンゲン侯)

カール
Karl
ナッサウ=ウージンゲン侯
在位 1718年 - 1775年

出生 (1712-12-31) 1712年12月31日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ナッサウ=ウージンゲン侯領、ウージンゲン
死去 (1775-06-21) 1775年6月21日(62歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ナッサウ=ウージンゲン侯領、ビープリヒ
配偶者 クリスティアーネ・ヴィルヘルミーネ・フォン・ザクセン=アイゼナハ
子女 本文参照
家名 ナッサウ家
父親 ナッサウ=ウージンゲン侯ヴィルヘルム・ハインリヒ
母親 シャルロッテ・アマーリア・フォン・ナッサウ=ディレンブルク
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カール(Karl, 1712年12月31日 - 1775年6月21日)は、ナッサウ=ウージンゲン侯(在位:1718年 - 1775年)。

生涯

カールはナッサウ=ウージンゲン侯ヴィルヘルム・ハインリヒと、ハインリヒ・フォン・ナッサウ=ディレンブルクの娘シャルロッテ・アマーリアの息子としてウージンゲンで生まれた。

父ヴィルヘルム・ハインリヒが1718年に死去した後、母シャルロッテ・アマーリアがカールと弟ヴィルヘルム・ハインリヒ2世の摂政となった[1]。1728年、カールはナッサウ=オットヴァイラー、ナッサウ=イトシュタインおよびナッサウ=ザールブリュッケンを父の従兄弟フリードリヒ・ルートヴィヒから継承し、それらはナッサウ=ウージンゲンに統合された[1]

1734年、神聖ローマ皇帝カール6世はカールの成年を宣言した。1735年には弟ヴィルヘルム・ハインリヒ2世と領地を分割した。カールはウージンゲン、イトシュタイン、ヴィースバーデンおよびラールを手に入れ、ヴィルヘルム・ハインリヒ2世はナッサウ=ザールブリュッケンといくつかの小領を得た[1]。カールは居所をタウヌス山地のウージンゲンからビープリヒ城に移し、母シャルロッテ・アマーリアの進歩的な統治を引き継いだ。

カールは1775年にビープリヒで死去し、息子カール・ヴィルヘルムが領地を継承した。

結婚と子女

1734年12月26日にザクセン=アイゼナハヨハン・ヴィルヘルムの娘クリスティアーネ・ヴィルヘルミーネと結婚した[1]。2人の間には以下の子女が生まれた。

後にマグダレーネ・グロス(1712年)と貴賤結婚し、4子をもうけた。

  • フィリッパ・カタリーナ(1744年5月17日 - 1798年7月17日) - 1773年にカール・フリードリヒ・フォン・クルーゼ男爵と結婚(1738年 - 1806年)
  • カール・フィリップ(1746年3月25日 - 1789年8月15日) - ヴァイルナウ伯
  • ゾフィー・クリスティーネ(1750年6月20日 - 11月16日)
  • ヴィルヘルム・ハインリヒ(1755年2月15日 - 4月6日)

脚注

  1. ^ a b c d Ernst Joachim (1882), "Karl von Nassau-Usingen", Allgemeine Deutsche Biographie (ADB) (in German), vol. 15, Leipzig: Duncker & Humblot, p. 313

参考文献

先代
ヴィルヘルム・ハインリヒ
ナッサウ=ウージンゲン侯
1718年 - 1775年
次代
カール・ヴィルヘルム
先代
フリードリヒ・ルートヴィヒ
ナッサウ=オットヴァイラー伯
ナッサウ=イトシュタイン伯
ナッサウ=ザールブリュッケン伯
1728年 - 1775年
次代