カーター・デヘイヴン
カーター・デヘイヴン(Carter DeHaven, 1886年10月5日 - 1977年7月20日)は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督、脚本家、助監督、映画プロデューサー、衣裳デザイナーである[1]。出生名フランシス・オキャラハン(Francis O'Callaghan)。 人物・来歴1886年(明治19年)10月5日、アメリカ合衆国のイリノイ州シカゴで「フランシス・オキャラハン」として生まれる[1]。5歳下の妹はのちに女優となりローズ・デ・ヘイヴンと名乗る[1][2]。 最初のキャリアはヴォードヴィルの舞台俳優であった[1]。1915年(大正4年)、映画界に入り、ウィリアム・C・ドーランが監督した短篇映画 The College Orphan に主演し、衣裳デザイナーも兼任した。ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に所属し、子会社のネスター・スタジオやヴィクター・スタジオが量産した短篇映画に多く主演し、相手役を妻のフローラ・パーカー・デヘイヴンが務めた[1]。1916年(大正5年)にユニヴァーサルの子会社にブルーバード映画が創立されると、同年、1作を監督・主演した。 1919年(大正8年)、ナショナル・フィルム・コーポレーション・オヴ・アメリカに移籍、ウィリアム・A・サイターが監督する短篇映画に多く主演した[1]。同社が製作した作品は、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーの前身の一社、ゴールドウィン・ピクチャーズが配給した[1]。1920年(大正9年)にはパラマウント映画に移籍、おもにチャーリー・チェイス監督作に主演した[1]。同年後半には自らの製作会社・カーター・デヘイヴン・プロダクションズを設立、同社の作品はファースト・ナショナルが配給した[1]。1922年(大正11年)からは、ロバートソン=コール製作、フィルム・ブッキング・オフィス・オヴ・アメリカ配給の作品に主演した[1]。 20作近くを自らも監督した後で、1936年(昭和11年)、チャールズ・チャップリンが監督・主演した『モダン・タイムス』の助監督を務めている[1]。1940年(昭和15年)の『チャップリンの独裁者』でも製作に協力し、バクテリア国の大使役で出演している[3]。 第二次世界大戦後はフィル・カールソンやロバート・パリッシュの助監督や、ダイアローグ・ディレクター等を務め、裏方に廻っている。1956年(昭和31年)に『エド・サリヴァン・ショー』の前身『トースト・オヴ・ザ・タウン』に出演して以降、『アパッチ保安官』、『うちのママは世界一』、『奥さまは魔女』等のテレビ映画に顔を出した[1]。 1977年(昭和52年)7月20日、カリフォルニア州ロサンゼルス市ウッドランド・ヒルズで死去した[1]。満90歳没。先に没した妻フローラ、夭折した長女マージョリーとともに、同州ロサンゼルス郡グレンデールのフォレスト・ローン・メモリアル・パークに眠る[4]。映画産業への貢献により、ヴァイン街1724番地にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を刻む。 フィルモグラフィ
関連事項
註
外部リンク
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