オーティス・ターナー
オーティス・ターナー(Otis Turner, 1862年11月29日 - 1918年3月28日)は、アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである[1]。「監督たちの学監」(The Dean of Directors)とあだ名された[1]。 人物・来歴1862年11月29日、アメリカ合衆国のインディアナ州フェアフィールド(オークフォード)に生まれる[1]。 1908年(明治41年)、セリグ・ポリスコープ・カンパニーに入社、短篇映画を量産する[1]。同年、ライマン・フランク・ボームの小説を『オズの魔法使い』を The Fairylogue and Radio-Plays のタイトルで映画化する。 1913年(大正2年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍、1915年(大正4年)からは同社子会社のレッド・フェザー映画等の製作する作品を監督、15話からなる連続活劇『黒い箱』等を手がける[1]。1916年(大正5年)にユニヴァーサル子会社として設立されたブルーバード映画では、J・ウォーレン・ケリガンを主演に『運命』、『惡魔の子』を監督した[1][2]。 ライマン・フランク・ボームがエディス・ヴァン・ダイク名義で、1914年(大正3年)に発表した小説 Aunt Jane's Nieces Out West にモデルとして登場している[1]。 1918年(大正7年)3月28日、カリフォルニア州ロサンゼルス市で心臓病により死去した。満55歳没[1]。 おもなフィルモグラフィ
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