カンボジア救援センター
カンボジア救援センター(カンボジアきゅうえんせんたー)とは、かつて日本に存在した民主カンプチア支援団体である。 概要ベトナム軍によるプノンペン陥落、およびヘン・サムリン政権成立1年後の1980年4月9日、当時社会民主連合(以下、社民連と記述)議員であった田英夫を事務局長として設立された。 活動同センターは、1980年当時カンボジアに駐留していたベトナム軍を「侵略軍」、ポル・ポト派支配地域を「解放区」と標榜し、カンボジアの「救援」を呼びかけていた。 1980年8月には水野清(衆院議員・自民党所属)、田英夫、秦豊(いずれも参院委員・社民連所属)らによる派遣団が、民主カンプチア支配地域を訪れた。これは、西側の政治家として最初の訪問であった。[1] 派遣団は、当時民主カンプチアの「首相」であったキュー・サムファンとの会談を行い、「カンボジア大虐殺は敵(ベトナム)によりでっち上げられたプロパガンダである」との民主カンプチア側の主張を追認、同政権への「支持と支援」を表明した。派遣団の帰国後、カンボジア救援センターは日本国内各地において「カンボジア救援」を標榜しつつ、クメール・ルージュ支援を目的とした募金・講演活動をおこなった。[2] 関連人物1980年4月設立当初の呼びかけ人は以下の通り。[3]
批判副島種典は、本救援センターによるカンボジア大虐殺否認・ベトナム軍の「侵略」性の強調を「国際的にはっきり認知されたはずの事実にさからう宣伝」であるとして批判している。[2] 関連項目
脚注
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