深作光貞深作 光貞(ふかさく みつさだ、1925年9月27日 - 1991年10月24日)は、日本の文化人類学者、評論家、歌人。 人物文化人類学者として京都大学文学部仏文科卒、東京大学大学院で石田英一郎に文化人類学を学ぶ。1952年にパリ・ソルボンヌ大学留学、1953年よりNHK欧州総局、1957年より毎日新聞パリ支局勤務。日南貿易取締役のかたわらアンコール・ワットの研究をする。1960年より東南アジアでのフィールドワークの後、フランス文学から文化人類学へ専門を変更。ワシントン州立大学客員教授、京都精華短期大学教授、学長、京都精華大学教授、奈良女子大学教授、明治学院大学教授を歴任した。カンボジアの地域研究を専門に、幅広い批評活動を行った。 また、百科事典『日本大百科全書』(小学館)の、「合図」などの項目を執筆した。 歌人として1950年に宮柊二の呼びかけで集まった「泥の会」に、1951年より参加。他の参加者に岡部桂一郎、草柳繁一、山崎方代、森比左志など。プロレタリア短歌の雑誌「人民短歌」などに作品を発表した。1965年には中井英夫と組んで伝説的な歌誌「ジュルナール律」の編集兼発行人となり、村木道彦を世に出すなどの功績を残した。自ら資金を提供して寺山修司、塚本邦雄、菱川善夫などに執筆の場を与え、前衛短歌のフィクサーとして活動した。また、岡井隆を京都精華大学教授に招いた。 著書
共著
参考
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