カンタベリー大聖堂![]() ![]() カンタベリー大聖堂(カンタベリーだいせいどう、英語: Canterbury Cathedral、公式名:Cathedral and Metropolitical Church of Christ at Canterbury)は、イギリスのイングランド南東部ケント州のカンタベリーにある大聖堂で[1]、イングランド国教会およびそのカンタベリー管区の総本山で、カンタベリー教区の中心でもある。1988年に聖オーガスティン修道院、聖マーティン教会とともに、ユネスコの世界遺産にも登録されている。 建築は初期イギリス式ゴシック様式(アーリー・イングリッシュとも。)の一例[2]。 歴史![]() 7世紀にローマ教皇の指示によりカンタベリーのアウグスティヌスがサクソン人の治めるケント王国に布教し、聖オーガスティン修道院を建設した。その後のノルマン人の征服によりノルマン朝を興したウィリアム1世は、アングロ・サクソン式の典礼や聖堂を嫌い、新たにロマネスク様式の大聖堂の建設を命じた。カンタベリー大聖堂はウィリアム1世の死後、1130年に献堂式が行われ完成した[3]。 1170年に政教分離を巡ってヘンリー2世と対立したカンタベリー大司教トマス・ベケットが殉教[4]し、聖人に列せられたことから、聖地として多くの巡礼者が訪れる場所となった。礼拝堂の床に1本のろうそくが立てられていて、その下にベケットは埋葬されている。ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』もカンタベリー巡礼者の物語である。 1174年、火事により聖堂の内陣が焼け落ち、フランス人建築家ギヨーム・ド・サンスの設計によって初期ゴシック様式に再建された[3]。ギヨームは工事中に負傷し帰国したが、その後も工事は継続され、内陣の再建は12世紀に完了した。同時期にベケットと、のちにエドワード黒太子の墓所となるトリニティー礼拝室が作られた。 1379年から身廊と翼廊が垂直式ゴシック様式で改築され、1503年に「ベル・ハリー・タワー」と呼ばれる大塔が建設された[3]。 大聖堂の寸法は、全長160m、幅47m、高さ72mである。 その他この大聖堂では、イングランド教会の英語礼拝だけでなく、フランスでの迫害からイギリス南西部へ逃れて、産業革命時代初期に紡績業の発展に貢献したと言われるユグノー教徒たちのフランス語礼拝もまだ行われている[5]。 世界遺産
カンタベリー大聖堂は、カンタベリーに残る他の2つの重要なキリスト教建築物、すなわち聖オーガスティン修道院と聖マーティン教会とともに、ユネスコの世界遺産に登録されている。カンタベリー大聖堂の登録面積は 9.15 ha である。 登録基準この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
脚注
参考文献
外部リンク |
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