カロン・バトラー
ジェームズ・カロン・バトラー(James Caron Butler、1980年3月13日 - )はアメリカ合衆国ウィスコンシン州ラシーン出身のバスケットボール選手。現役時代にはNBAのワシントン・ウィザーズなどの9球団に所属したジャーニーマン。ポジションはスモールフォワード、シューティングガード。201cm、103kg。愛称はCaronimo、Tough Juice。2020年よりマイアミ・ヒートのアシスタントコーチを務めている。 経歴学生時代15歳になるまでに15回逮捕されるという荒んだ少年期を過ごした後、拘置所にてバスケットボールに目覚める。その後は奨学金を得て、コネチカット大学に進学。1年生の2001年8月には日本で開催されたFIBAヤングメン世界選手権(21歳以下)にアメリカ代表として来日し、優勝を飾った。2年生にはビッグイーストカンファレンスの年間最優秀選手に選ばれ、同校を同カンファレンストーナメント優勝と、NCAAトーナメントのElite8進出に導いた。 NBA2002年のNBAドラフトにてマイアミ・ヒートから1巡目10位で指名を受けてNBA入り。1年目の2002-03シーズンから先発で起用され、1試合平均15.6得点・5.1リバウンドの好成績を残し、オールルーキーファーストチームに選出された(新人王はアマーレ・スタウダマイアー)。2年目となる2003-04シーズンは怪我に悩まされたこともあり、成績は後退。シーズン終了後、シャキール・オニールとの交換でラマー・オドム、ブライアン・グラントと共にロサンゼルス・レイカーズに移籍する。 レイカーズでは1シーズンだけ所属し、2005年にワシントン・ウィザーズに移籍。ウィザーズでは前シーズンに攻守両面で活躍しながらチームを去ってしまったラリー・ヒューズの後釜としてのプレーが期待され、ヒューズとギルバート・アリーナス、アントワン・ジェイミソンで形成されていたビッグスリーの新たな一員となった。バトラーは持ち味であるフィジカルなディフェンスに加え得点面でも活躍、平均17.6得点・6.2リバウンドなどを記録し、ヒューズの穴を見事に埋めてチームの2年連続プレーオフ進出に貢献した。2006-07シーズンには19.1得点・7.4リバウンドとさらに成績を上げ、自身初のオールスターゲームにも出場。チームもカンファレンス上位に食い込むなど、好調なシーズンを送るかに見えたが、シーズン終盤になってエースのアリーナスが負傷によりチームから離脱すると、今度はバトラーが右手を骨折してしまい、以降プレーオフまで全て欠場を強いられることになった。 2007-08シーズンはアリーナスがシーズンの大半を欠場したが、彼のを穴を埋めるべくバトラーは奮戦。2008年1月27日のミルウォーキー・バックス戦では自身のキャリア唯一の1試合40得点を記録した[1]。バトラー自身も怪我に苦しんだものの、自身初の平均20得点以上となる20.1得点を記録し、フリースロー成功率は90.1%でリーグ6位だった。アリーナスの欠場も、チームは逆に勝率を伸ばし、プレーオフ出場を果たした。 2010年、2月13日、ブレンダン・ヘイウッドらとともに、ジョシュ・ハワード、ドリュー・グッデン(17日に、クリッパーズへ移籍)、ジェームズ・シングルトン、クイントン・ロスと交換でダラス・マーベリックスに移籍した。 2010-111シーズン、マーベリックスが2011年のNBAファイナルに進出。4勝2敗で古巣のマイアミ・ヒートを下し、初の優勝を経験した(バトラー本人はケガで出場はできなかった)。 2011年オフ、FAとなりロサンゼルス・クリッパーズに移籍する。チャウンシー・ビラップスと共にベテランとして若いチームを引っ張った。 2013年8月29日、ミルウォーキー・バックスに移籍した[2] 2014年3月1日、オクラホマシティ・サンダーと契約した[3]。 2014年6月15日、デトロイト・ピストンズと2年900万ドルで契約した[4]。 2015年7月10日、サクラメント・キングスと2年300万ドルで契約した[5]。 プレースタイル愛称にもあるように、タフで情熱的なプレーを心情としている。NBA入り当初はフィジカルなディフェンスを評価されており、平均スティール数は毎シーズンリーグ上位に名を連ねている。近年ではオフェンス能力も開花しており、スリーポイントシュート成功率を伸ばすなどシュートエリアを着実に広げてきている。 人物
個人成績
レギュラーシーズン
プレーオフ
脚注
外部リンク
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