カルル・ヴェルネ(Carle Vernet、本名 Antoine Charles Horace Vernet、1758年8月14日 - 1836年11月17日)は、フランス革命の時代のフランスの画家、版画家である。
略歴
ボルドーで生まれた。父親のクロード・ジョセフ・ヴェルネは有名な風景画家である。幼い頃に馬の絵を描くことに強い興味を示したとされるが、父親や歴史画を描くニコラ・ベルナール・レピシエから歴史画や風景画の訓練を受けた[1]。1782年にローマ賞を受賞したが、絵を描くことに熱心でなくなり、修道院に入ることを防ぐために、留学先のローマからパリに呼び戻された。1788年にパリのエコール・デ・ボザールのメンバーとなった。有名な版画家のモロー(Jean-Michel Moreau)の娘と結婚し、息子のオラース・ヴェルネは後に戦場の場面を描いた作品で知られる画家になった。
フランス革命が始まると、保守的な立場であり、妹で、有名な建築家と結婚したマルグリット・エミリー・シャルグラン(Marguerite Émilie Chalgrin)がフランス共和国の財産を盗んだ罪で1794年に起訴され、革命政府に影響力のあった画家、ジャック=ルイ・ダヴィッドに助力を求めたが、助命はかなわず、死刑になる経験をした。
戦場の場面を描くようになり、1799年に第一執政となったナポレオンが指揮した、1800年のマレンゴの戦いに従軍し、ナポレオンに知られるようになり、1808年のサロン・ド・パリに来場したナポレオンから作品を称賛され、レジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した 。
作品
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モスクワの戦いのナポレオン
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1808年マドリードのナポレオン (1810)
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馬をひくマムルーク
脚注
- ^ Charles Saunier, La Peinture au XIXe siècle, 2 Bd., Paris 1911, S. 127, und Bd. 2, S. 264.
参考文献
- Auguste Jal, « Carle Vernet », L'Artiste, 1831, p. 186.
- Paul Colin, Catalogue analytique de l'œuvre de Carle Vernet, Paris, 1923.
- Marie-Laure de Contenson-Hallopeau, « Un chef d’œuvre de Carle Vernet au Musée Bargoin », Bulletin historique et scientifique de l'Auvergne, no 666, juillet 1980, p. 161-164, ill.
- Charles Blanc, Henry Jouin, Les trois Vernet : Joseph, Carle, Horace, éd. H. Laurens, Paris, 1898.
- Xavier Paris, Carle Vernet, peintre de père en fils, Artena, 2010 (ISBN 978-2-35154-017-6) [présentation en ligne [archive]]
- Carle Vernet, Uniformes napoléoniens, Paris, Musée de l'Armée, Bibliothèque de l'image, 2001.