カサンドラ (軽巡洋艦)

艦歴
発注
起工 1916年3月
進水 1916年11月25日
就役 1917年6月
退役
その後 1918年12月5日に戦没
除籍
性能諸元
排水量 4,190トン
全長 450 ft(140 m)
全幅 43.6 ft(13.3 m)
吃水 14 ft(4.3 m)
機関 ブラウン=カーチス式ギアード・タービン2基
ヤーロウ缶6基、2軸推進、40,000 shp
最大速 29ノット
乗員 327名
兵装 6インチ砲5門
3インチ砲2門
2ポンド砲2門
21インチ魚雷発射管8門

カサンドラHMS Cassandra)はイギリス海軍軽巡洋艦カレドン級

艦歴

ヴィッカース社で建造。1916年3月起工。同年11月25日進水。1917年6月就役。

最初はグランドフリートの第6軽巡洋艦戦隊に所属した。1917年8月15日、フェア島で座礁。

1918年11月21日、Edwyn Alexander-Sinclair少将率いる軽巡洋艦「カーディフ」、「カラドック」、「シアリーズ」、「カサンドラ」、「カリプソ」などはバルト海へ向かった[1]。11月29日にコペンハーゲンに到着し燃料補給を行ったが、石炭船が座礁したため石炭焚きの掃海艇への補給は行えなかった[2]。バルト海には機雷の危険があったが、可能な限り早く艦隊に来てもらいたいとのコンスタンティン・パッツからの要請を受け、部隊は掃海艇抜きで出発することとなった[2]リバウを経てレバルへ向かう際、Sinclairは時間短縮のため安全とされる水路から外れた航路をとった[3]

12月5日未明、オーゼル島沖で「カサンドラ」は触雷した[4]。機雷は機関室の直下で爆発し、動力は失われた[4]。艦を救える見込みはなかった[4]。ボートは凍り付いていたため、まず駆逐艦「Westminster」が風上側から乗員の収容を試みたが、14名しか収容できなかった[4]。次いで駆逐艦「ヴェンデッタ」が風下側から向かい、乗員の大半を収容した[4]。その時点でもまだ「カサンドラ」には艦長ら残っており、「シアリーズ」がどうにかボート1艘を降ろして派遣した[4]。その後「カサンドラ」は沈没した[4]。死者は爆発で死亡した10名と「ヴェンデッタ」への収容の際に海に転落した1名の計11名であった[4]

脚注

  1. ^ Steve R. Dunn, Battle in the Baltic, Orders or Not - Destination Libau
  2. ^ a b Steve R. Dunn, Battle in the Baltic, Alexander-Sinclairt - Destination Libau
  3. ^ Steve R. Dunn, Battle in the Baltic, Destination Libau - CHAPTER 4
  4. ^ a b c d e f g h Steve R. Dunn, Battle in the Baltic, CHAPTER 4

参考文献

  • Steve R. Dunn, Battle in the Baltic: The Royal Navy and the Fight to Save Estonia & Latvia 1918–20, Seaforth Publishing, 2020