飛行する模型オーニソプター
オーニソプター (英 : ornithopter )とは鳥 やコウモリ ・翼竜 ・昆虫 のように翼 を羽ばたかせることによって飛ぶ航空機 のことである。日本語では鳥型飛行機 、羽ばたき式飛行機、はばたき機 などと訳されることもある。
概要
航空史 の黎明期に開発された飛行機械は、大半が鳥のように羽ばたくものであった。かつて、人類が目にした自由に空を飛ぶものといえば鳥や昆虫であり、こうした生物は羽ばたき飛行を行っている。ゆえに人々が飛ぼうとするとき、羽ばたきを選んだのはごく自然なことだった。
しかしながら、鳥は単に翼を上下させているのではなく、翼自体を変形させつつ複雑に羽ばたくことで揚力 と推力 を同時に得ている。当初は鳥の飛行の原理が充分に理解されていなかった上に[ 注釈 1] 、鳥の羽ばたきを機械で模倣するのは技術的にも困難であった。また、人力か動力のいずれにしろパワーウェイトレシオ が不足し、なおかつ羽ばたきに耐える強度 を持った翼を開発できなかったため、オーニソプターによる飛行の試みはことごとく失敗に終わった。
気球 が発明された1783年 以降も、それに始まる軽航空機 の発展とはあまり関わりがなく作られ続けるが、19世紀前半にジョージ・ケイリー が揚力と推力を分離する固定翼機 、つまりグライダー の技術を考案し、後に1903年 、ライト兄弟 がそのグライダーの応用による有人動力飛行を実現させるとオーニソプターの開発は下火となる。
現在のオーニソプターは、小型の模型 でゴム動力 やバッテリーで駆動するものがほとんどで、ラジコン 操作で飛行場 の鳥を追い払うために使われているものもある。一方、エンジン を用いた人間を搭載可能なオーニソプターの研究もいくつか行なわれているが、まだ実用 化には至っていない。
用語
"Ornithopter" の語は、古代ギリシア語 で「鳥」を表す ὄρνις, ὄρνῑθος (ornis, ornithos ) の語幹 ὄρνιθ- (ornith- ) と、古代ギリシア語で「翼」を意味する πτερόν (pteron ) から派生した接尾語 -pter の複合によるもの。[ 1]
[ 2]
はばたき機自体の歴史は15世紀 頃まで遡ることができるが、オーニソプターという語が初めて確認されたのは1908年 のことである[ 1] 。この頃にはすでにライト兄弟 により固定翼機 が発明され、はばたき機の開発は下火になっていた。したがってこの語は一種のレトロニム である。
年表
18世紀以前
ダ・ヴィンチによる人力オーニソプターのスケッチ
19世紀
デーゲンのオーニソプター(気球部分は描かれていない)
1801年: フランスのギヨーム・レスニエ (Gillaume Resnier)、翼長6mの人力オーニソプターで飛行を試みる。少なくとも高所からの滑空には成功した。
1809年: ウィーンの時計職人ヤーコプ・デーゲン (Jakob Degen、スイス人)が、小型の気球で重量の大半を支える形式の人力オーニソプターを製作。1810年12月6日、ルクセンブルクで公開飛行。1812年7月7日にはパリで(半時間で数kmの)公開飛行[ 7] [ 9] [ 10] 。
1810年: イギリス人トーマス・ウォーカー、尾翼のある一人乗りオーニソプター(動力式?)を考案[ 9] 。
1811年: “ウルムの仕立て屋”アルプレヒト・ベルブリンガー 、デーゲンの影響を受けて人力オーニソプターを作る。5月31日、ウルムにて公開飛行に失敗(ドナウ川に墜落)[ 7] 。
(19世紀前半にはジョージ・ケイリー卿 が揚力と推力を分離する方法を考案。固定翼機への道を開く。 )ケイリーは1817年、羽ばたき翼により推進される飛行船 (蒸気機関を動力とする)も構想している。
1852年: フランス人ルイ・ルトゥールがパラシュート と組み合わされた人力オーニソプターを製作。1854(?)年、気球から落とされる実験で、木にひっかかり死亡[ 9] (※[ 5] によると「フランコ・ラトゥール」が1853年6月22日、ロンドンで墜落死)。
1854年: ブレアン、蝶のような形の翼を持った人力オーニソプターを製作(未製作?)。腕力で打ち下ろし、ゴムの張力で引き上げる構造だった[ 11] [ 12] [ 13] 。
1860年: スミシーズ、動力(蒸気機関)オーニソプターを設計(製作?)[ 12] [ 13] 。
1865(4?)年: ストリューヴェ(シュトルーフェ)とテレシェフ、多翼(数対の翼を備えた)オーニソプターを設計[ 12] [ 13] 。
1867年: オットー・リリエンタール と弟のグスターフ、実験により人力オーニソプターを見捨てる[ 14] (※重量の1割程度の揚力しか得られないことが判明したため)。
1868(9?)年: イギリス人ジョゼフ・カウフマンが翼長21m、重量2.4トン、蒸気機関を動力とする羽ばたき機を計画。実際に作られた重量18kgの動力模型は離陸できず[ 9] [ 15] 。
デ・フローフの人力オーニソプター
1874年: ベルギーの靴屋デ・グルーフ(Vincent de Groof、フローフとも表記)が翼長10m以上で尾翼のある人力オーニソプターを製作。ブリュッセルで一度目の実験(飛行できず?)。7月9日、ロンドンで二度目の実験。気球に吊られて高度数百mまで運ばれた後、宙に放たれるが飛行できず墜落死した[ 4] [ 7] [ 15] [ 16]
1870年代: フランスで、相次いで動力式の模型オーニソプターが作られる。これらは飛行した。
1883年: ペテルスブルクのブラノフスキー教授、プロペラと羽ばたきを併用する動力模型機を作る[ 13] 。
1880年代 - 90年代: フランス科学アカデミーのE・J・マレー が、「連続記録写真箱」によって鳥の運動を分析する。
リリエンタールの動力オーニソプター
1893年: リリエンタールが動力(圧縮空気エンジン)式オーニソプターの特許を取得。主翼本体ではなく、翼端に取り付けた小翼を動かす形式だった。1894年に小型機(No.16)を、1896年に大型機(No.17)を製作[ 7] [ 14] 。
1890年ごろ: 箱凧で知られるローレンス・ハーグレイヴ 、数機の動力式オーニソプターを製作。リリエンタールのものと同様に小翼が羽ばたいて推力を生む機構だった。
20世紀
(1903年: ライト兄弟 が、固定翼機による動力飛行を成功させる。 )
1929年: アレクサンダー・リピッシュ 設計の人力オーニソプターが、(カタパルト で発射された後に)約300mを飛行する。
1929-31年: ウラジーミル・タトリン が3種類の人力オーニソプター「レタトリン」を制作し、テスト飛行を行う(結果は不明)[ 17] 。
1933年: グスターフ・リリエンタール(オットーの弟)、動力オーニソプターの研究を続けていたが成果の得られないまま病死[ 7] 。
1937年: フランスで、トンボを参考にした2対の羽ばたき翼を持つ試作機リウ 102T アレリオン (英語版 ) (Riout 102T Alérion)が製作されるが、初飛行に至らず[ 18] 。
1942年: ドイツのアダルベルト・シュミット(Adalbert Schmid)が、動力オーニソプター「ヴォルケ」(Wolke)(固定翼の後ろに羽ばたき翼を持つ)を15分間飛ばす[ 19] 。
1947年: アダルベルト・シュミットが、外翼のみが羽ばたく形式の動力オーニソプターを製作する[ 19] 。
1993年: 京都大学 鳥人間チーム のOBなどからなる団体「Silever Shooting Stars」が人力オーニソプター「迦楼羅」を製作するが、羽ばたき無しの人力牽引飛行テスト中に大破し、以後プロジェクトは休止状態となる[ 20] 。
1994年: 海上自衛隊 下総航空基地 の自衛隊員らからなる「チーム下総OSC」が、翼端のみを羽ばたかせる形の人力オーニソプターを製作[ 21] 。下総OSCはその後も1997年より固定翼に加えて推進用の羽ばたき翼を持つ人力機を製作し、1998年、1999年などの鳥人間コンテスト選手権大会 に出場している[ 21] [ 22] [ 23] 。
1998年: 自由の森学園 人力飛行機部がプテラノドン 型人力オーニソプターで鳥人間コンテスト選手権大会に出場するが、1回目の羽ばたきで翼が折れ墜落する[ 24] 。
21世紀
フィクション
以下は、オーニソプターをテーマとする(あるいはオーニソプターが登場する)フィクションである。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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