エリック・ヤング (投手)
エリック・デバリ・ヤング(Eric DeBari Junge , 1977年1月5日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の元プロ野球選手(投手)。台湾球界での登録名は、艾力克。 来歴・人物1999年のMLBドラフト11巡目(全体344位)でロサンゼルス・ドジャースから指名されて契約。メジャー昇格がないまま2001年11月9日にオマー・ダールとの交換トレードで、他のマイナー1選手とともにフィラデルフィア・フィリーズに移籍。2002年9月11日の対フロリダ・マーリンズ戦(ベテランズ・スタジアム)でメジャーデビューを果たす。 しかし、その後は振るわずニューヨーク・メッツとサンディエゴ・パドレスの傘下マイナーリーグ、アメリカ独立リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュを経て、2007年はニューヨーク・ヤンキースの傘下マイナーリーグに所属。 2007年シーズン終了後、横浜ベイスターズの秋季キャンプにテスト生として参加するが不合格となった。 翌2008年、日本プロ野球(NPB)のオリックス・バファローズの春季キャンプでの入団テストに合格し、契約。テスト期間中、北京オリンピック野球日本代表の投手コーチとしてキャンプに視察に訪れていた大野豊はヤングを「デイビー以上。契約しないということはないでしょう」と絶賛していた。 開幕は二軍だったが、4月15日に出場登録され、その日の試合でNPB初登板を果たした。しかし敗戦処理でも打ち込まれる試合が多く、5月26日に登録抹消。その後は二軍暮らしとなり、10月3日に戦力外通告を受けた。一軍で打たれた2本の被本塁打は、いずれもロッテの今江敏晃に打たれたものだった。シーズン終了後11月に韓国プロ野球(KBO)・斗山ベアーズの秋季キャンプに参加したが、入団には至らなかった。 2009年は、シーズン当初はアメリカ独立リーグ・アトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズでプレーしていた。7月10日に、期待通りの活躍ができなかったビクトル・ディアスの代役としてKBOのハンファ・イーグルスと契約し、先発として起用されたが1勝にとどまり、最下位を独走していたハンファの救世主とはならず、この年限りで退団となった。 2010年も、シーズン当初はランカスターでプレーしていた。4月に台湾・中華職業棒球大聯盟(CPBL)の興農ブルズと契約したが、5月27日に退団し、6月にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約した。2011年も引き続き在籍。 2012年は、アトランタ・ブレーブスのマイナーでプレーした。 2013年1月に現役を引退し、サンディエゴ・パドレスのスカウトに就任した。その後はマイナー巡回のピッチングコーディネーター、ピッチングインストラクターを歴任[1]。 2021年8月18日、成績不振で辞任した前監督の後任として、パドレス傘下AAA級エルパソ・チワワズの暫定監督に就任した[1]。 プレースタイル最速150km/hの速球とスライダーが持ち味だが、それ以外に実践的な球種が少なかった。また、制球力も良い方ではなかった。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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