エドモン・ド・ゴンクール晩年の肖像(ナダール 撮影)
エドモン・ド・ゴンクール (フランス語 : Edmond de Goncourt フランス語発音: [ɛdmɔ̃ də ɡɔ̃kuʁ] 、1822年 5月26日 - 1896年 7月16日 )はフランス の作家、美術評論家 。
弟ジュール・ド・ゴンクール と共同制作したゴンクール兄弟 として著名である。兄弟の共同作品で約30冊の小説、歴史書などを公刊した。小説家としては自然主義 に属した[ 1] 。
生涯と著述
1822年5月26日、ナンシー で生まれた[ 2] 。祖父は弁護士で、土地を購入してフランス王ルイ16世 により貴族に叙され[ 3] 、父はナポレオン・ボナパルト 期の陸軍士官だった[ 1] 。
弟ジュール・ド・ゴンクール とは常に共同で執筆し[ 2] 、エドモンが口述、ジュールが筆記した後、2人で推敲して著作を完成させた[ 3] 。梅毒 により、1870年 に弟ジュールが病没した時は[ 3] 、兄エドモンは筆を取れないほどだったが、弟の遺稿を添削する事などで徐々に立ち直り、没する寸前まで小説や評伝、美術評論など約10数冊の作品を著述した。
1851年 から共作で書かれ始めた『日記 (英語版 ) (Journal des Goncourt )』(全9巻)が著名。19世紀 フランス文壇 のみならず社会全般にわたり、赤裸々に書かれている。晩年(1887年から1896年)に、一部が公刊され反響が大きかった。交流相手の作家はフローベル やゴーティエ 、バルザック 、サント=ブーヴ などである。
晩年は歌麿 、北斎 等の浮世絵 を始めとした近世 日本美術 の紹介に務め、ジャポニスム の先駆者の1人となった[ 3] 。これには越中国 (富山県 )高岡 出身の画商 林忠正 の協力が大きく[ 3] 、『日記』にも多く登場している。
1896年7月16日、シャンプロゼ で死去した[ 2] 。遺言により遺産を基に、文学賞 としてゴンクール賞 が創設され、1902年にアカデミー・ゴンクール (英語版 ) が発足した[ 1] 。
永井荷風 は『江戸芸術論』[ 4] で、紹介文「ゴンクウルの歌磨及北斎伝」を著した。また野口米次郎 や後藤末雄 [ 5] 、画家ノエル・ヌエット [ 6] による解説著作がある。
没後60年を経た1956年に、完全版を刊行しようとしてアルフォンス・ドーデ (晩年に弟のように接し、その邸宅で急逝した)の子孫から、訴訟沙汰起され一時取り止めになったが、後に公刊された。日本人ではパリ万国博覧会 [要曖昧さ回避 ] 関係で、総理大臣 に就いた西園寺公望 や松方正義 等が登場する。
エドモン(左)、ジュール(右) ナダール撮影
著作
弟ジュールとの共同執筆
『18××年』(En 18… 、1854年[ 3] )
『大革命期のフランス社会史』(1854年、歴史[ 3] )
Portraits intimes du XVIIIe siècle (1857年、歴史[ 2] )
『マリ・アントアネット伝』(Histoire de Marie-Antoinette 、1858年、歴史[ 3] )
『18世紀の芸術』(L’Art du XVIIIe siècle 、1859年 – 1875年、歴史[ 7] )
『シャルル・ドゥマイイ』(Charles Demailly 、1860年[ 3] )
『尼僧フィロメーヌ』(Sœur Philomène 、1861年、小説[ 3] )
『18世紀の女性』(La Femme au XVIIIe siècle 、1862年、歴史[ 7] )
『ルネ・モープラン (フランス語版 ) 』(Renée Mauperin 、1864年、小説[ 1] )
『ジェルミニー・ラセルトゥー (英語版 ) 』(Germinie Lacerteux 、1865年、小説[ 8] )
『マネット・サロモン』(Manette Salomon 、1867年、小説[ 1] )
『ジェルベゼ夫人』(Madame Gervaisais 、1869年、小説[ 3] )
『日記 (英語版 ) 』(Journal 、9巻、1887年 – 1896年出版[ 2] ) - 最初はジュールとエドモンの兄弟2人で書いていたが、1870年のジュールの死以降は、兄エドモンが没時まで継続。
『売笑婦エリザ』(La Fille Eliza 、1877年) - 途中でジュールが亡くなったため兄エドモンが完成。
ジュールの没後、エドモン単独で執筆した作品
『ザンガノ兄弟』(Les Frères Zemganno 、1879年、小説[ 3] ) - 空中ブランコ乗りの兄弟の物語。
La Maison d'un Artiste tome 1 (1881年)
La Maison d'un Artiste tome 2 (1881年)
La Faustin (1882年)
『シェリー』(Chérie 、1884年、小説[ 3] )
『歌麿』(Outamaro 、1891年、浮世絵研究書[ 3] )
『北斎』(Hokousaï 、1896年、浮世絵研究書[ 3] )
日本語訳
『ゴンクールの日記 文学生活の手記』(大西克和ほか訳、角川書店 (全6巻)、1959年 - 1966年)
最終6巻目のみ山田爵 ・斎藤一郎訳。1884年 分までの訳書。初刊は鎌倉文庫 (全3巻、1947年)
全9巻予定だったが、訳者が訳している最中に急逝。
『ジェルミニー・ラセルトゥウ Germinie Lacerteux 』(共同作品、大西克和訳、岩波文庫 、復刊1993年 、2010年 2月)
田山花袋 等、日本の自然主義文学 に影響を与えた。1950年に初版。
『ゴンクール兄弟の見た 18世紀の女性』(兄弟での共著、鈴木豊 訳、平凡社 、1994年)
『ゴンクールの日記』(斎藤一郎 編訳、岩波書店 、1995年)
改訂版:岩波文庫(上・下)、2010年1月-3月 - 文壇、日本美術関係が中心の抜粋訳。
『歌麿』(隠岐由紀子訳、平凡社東洋文庫 、2005年12月)
『北斎 十八世紀の日本美術 』(隠岐由紀子訳、平凡社東洋文庫、2019年11月)
出典
関連文献
斎藤一郎『ゴンクール兄弟とその時代』(水声社 、2021年9月)
鈴木淳 『エドモン・ド・ゴンクール著『北斎』覚書』(ひつじ書房 、2022年8月)
小山ブリジット『夢見た日本 エドモン・ド・ゴンクールと林忠正』
高頭麻子・三宅京子訳(平凡社 、2006年)。著者はフランス人女性の日本研究者 。