エドガー・ジョーンズ (映画監督)
エドガー・ジョーンズ(Edgar Jones, 1874年6月17日 - 1958年2月7日)は、アメリカ合衆国の映画監督、俳優、映画プロデューサーである[1]。 人物・来歴1874年(明治7年)6月17日、イギリスの首都ロンドンに生まれる[1]。 満37歳のときの1912年(明治45年)、ルービン・マニュファクチャリング・カンパニー(ルービン・スタジオ)に入社、クララ・ウィリアムスを相手役に短篇の西部劇 Over the Divide に主演したのが、記録に残る最初の映画出演である[1]。以降、同社が量産する短篇映画に多く主演、監督はフランシス・J・グランドン、相手役はほとんどがクララ・ウィリアムスであった[1]。 1913年(大正2年)、エリナー・ブランチャードを主演に迎え、The Man of Him を監督して監督業に進出、続けてクララ・ウィリアムスを相手役に自ら主演した A Waif of the Desert を監督する[1]。1915年(大正4年)まで自作自演の量産を続け、同年、コロンビア ピクチャーズに移籍、 An Enemy to Society 以降、監督業に専念する[1]。 1918年(大正7年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍、ルイズ・ラヴリーを主演に The Girl Who Wouldn't Quit を監督、同年、同社の子会社・ブルーバード映画でもルイズ・ラヴリーを主演に A Rich Man's Darling を監督したが[1]、多くの作品が日本公開されたブルーバード映画のなかの数少ない日本未公開作である[2]。同年、俳優デビュー作を撮ったフランシス・J・グランドン監督の Wild Honey に出演して、俳優業に復帰した[1]。 1921年(大正10年)からは、自らが主演・監督・プロデュースし、相手役の女優には決まってエドナ・メイ・スパールを配した短篇映画を量産するが、翌1922年(大正11年)の同様の作品 Lonesome Corners を最後に作品の記録が途絶える[1]。allmovieの記述によれば映画界から引退したようだとある[3]。 1958年2月7日に死去[1]。 おもなフィルモグラフィ
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