エコール・ド・パリ (フランス語 : École de Paris , 英語・School of Paris)は、「パリ派」の意味で、20世紀前半、各地からパリ のモンマルトル やモンパルナス に集まり、ボヘミアン 的な生活をしていた画家たちを指す。厳密な定義ではないが、1920年代 を中心にパリで活動し、出身国も画風もさまざまな画家たちの総称。
歴史
1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれる。印象派 のようにグループ展を開いたり、キュビスム のようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではない。ピカソとマティス[ 1] は、パリ派の双子のリーダーと形容された[ 2] 。
狭義のエコール・ド・パリは、パリのセーヌ川左岸のモンパルナス(詩人の山)につくられた共同アトリエ「ラ・リューシュ (蜂の巣)」に集った画家たちをさす。一方、セーヌ河右岸のモンマルトルには、ピカソが住んでいた「バトー・ラヴォワール(洗濯船 )」があり、キュビスムの画家が多かった。狭義のエコール・ド・パリはキュビスムなどの理論に収まらない画家たちのことだが、広義のエコール・ド・パリは、キュビストも含めてこの時代のパリで活躍した外国人画家(異邦人的なフランス人画家も含む)すべてを指す。
外国人画家の中でも、モディリアーニ、シャガール、スーティン、パスキン、キスリングなど、国籍は違えどもユダヤ系の画家が多い点も指摘され、「エコール・ド・ジュイフ(ユダヤ人派)」と呼ばれることもある。また、それぞれの作風は個性的であったが、モディリアーニをはじめ、後の世代の画家たちへの影響は大きい。
アンドレヴァルノ (フランス語版 ) 著『Les Berceaux de la jeune peinture』ドローイング はモジリアーニ
主たる作家(年齢順)
周辺の作家
関連作品
映画
OVA
ドキュメンタリー映像作品
小説
ノンフィクション、エッセイ
『モンパルナスのエコール・ド・パリ』ジャン=ポール・クレスペル,2013,八坂書房
『モンパルナス讃歌―1905-1930 エコル・ド・パリの群像』J.P.クレスペル,1977,美術公論社
『エコール・ド・パリの日本人野郎―松尾邦之助交遊録』玉川信明,2005,社会評論社
『腕一本・巴里の横顔』藤田嗣治・近藤史人,2005,講談社
『エコール・ド・パリ』全三巻,福島繁太郎 ,1948-1951
脚注
関連項目