エクサクタエキザクタ (Exakta) は、ドイツのカメラメーカー、イハゲーが一眼レフカメラに使ったブランド。イハゲーは外国(オランダ)資本であったため、第二次世界大戦後の東ドイツ時代にあってもVEB(人民所有公社)に再編されることはなかったが、1970年に国策によりVEBペンタコン・ドレスデンに吸収され、その後はペンタコンが設計開発生産を行った。 本項では、普及機であるエクサ (Exa) 、イハゲー・ウエストのエキザクタ・レアル(Exakta real)等についても併せて解説する。 表記について戦前から「エキザクター」や「エキザクタ」の表記が使用されてきたが、ドイツ語の発音では「エクサクタ」[1]、英語やフランス語では「エグザクタ」となることから、「エキザクタ」の表記をこれらの表記に改めるべきではないかとの意見もあるが、現在ではこれら複数の表記が混在して使用されている。 120フィルム使用カメラ
127フィルム使用カメラ
135フィルム使用カメラレンズマウントはφ38.2mm三本爪バヨネット式右回り1/4回転[5]のエキザクタマウントで、事実上の世界統一規格の一つとなり、多数のメーカーがレンズ製品を製造した。カメラ製品でも東京光学機械(現トプコン)がトプコンRシリーズに、マミヤ光機がマミヤプリズマットシリーズの一部に採用した。 キネ・エキザクタ・シリーズ
エキザクタ・ヴァレックス・シリーズ
エキザサクタ・VX1000/500シリーズ
エキザクタ・RTL1000シリーズイハゲー・カメラヴェルクの設計開発部門を吸収したVEB・ペンタコン・ドレスデンが、プラクチカLシリーズと並行して設計を行った。“金属幕フォーカルプレーンシャッター” “TTL露出計” “自動絞り付きレンズの為の内部機構” “現代的な外観”と言うプラクチカLシリーズの特徴が継承される予定だった。その一方でエキザクタシステムの為に譲歩されたのはエキザクタ・マウントの維持だけであり、生産もイハゲー・カメラヴェルクではなくペンタコン・ドレスデンで行われた。当時の広告や印刷物には製造場所が「オリジナル・エキザクタ・ドレスデン」と記載されていたが、これは西ベルリンのイハゲー・ウエストとの争訟がつづいていたからである[29]。
エクサ・シリーズ高級機であるエキザクタ・ヴァレックスに対し、廉価な大衆普及機を作るというアイデアから産まれたカメラであり、その為高級なフォーカルプレーンシャッターが使えず[32]、ミラーをシャッター替わりにしいる。他方ファインダー部が交換でき、またレンズマウントがエキザクタと同じなのでエキザクタマウントレンズが装着できるという利点を持っていた[33][34]。 第1世代
第2世代これまでのとは異なる新しいデザインのボディが導入された。フロントプレートがレンズ周りのみとなり、それまでの長矩形から猪口型になった。ネームプレートも扇形から長矩形になった。裏蓋が外せるようになり、軍艦部が厚くなった[42]。
エクサIIシリーズ性能に大きな差があるエキザクタ・ヴァレックスとエクサの間を埋める為にできた機種である。設計責任者はギュンター・フィッシャー(Gunter Fischer)[46]。1/2~1/250秒までのフォーカルプレーンシャッターを装備し、エキザクタ・ヴァレックスの全てのレンズが装着できた。しかし製造部門は工程が分散している事から生産に反対意見が多く、対して営業部門は新しい機種を待ち望む観点から生産に賛成していて、両者の溝が埋まらないまま生産が開始された。その後ボディや裏蓋をエクサと統一する事が決まり、合理化効果も現れてきた事で反対意見は小さくなっていった[46]。
交換レンズについては、M42マウントのエクサIb、エクサIcについてはM42マウントレンズの一覧を、それ以外の機種についてはエキザクタマウントレンズの一覧を参照のこと。 アクセサリー
イハゲー・ウエストのエキザクタと日本製エキザクタイハゲーの創業者でオランダ人のヨハン・スティーンベルヘン(Johan Steenbergen)は、1943年、ナチスの迫害を逃れてドイツから一時亡命した。第二次大戦後、スティーンベルヘンは西ドイツに戻り、東ドイツで操業を続けていたイハゲーの経営権とエキザクタ等の商標や特許を取り戻すための行動を起こした[51][52]。1959年11月、いわゆるイハゲー・ウエストをフランクフルト・アム・マインで立ち上げ、フランクフルト高等裁判所の判決によりエキザクタ等の商標権がスティーンベルヘンにあることを確認すると、拠点をミュンヘン、その後、西ベルリンへ移した。スティーンベルヘンは新型エキザクタの開発に着手し、デザインをフェラーリに委嘱、1963年のフォトキナで6種類のプロトタイプを発表[53]、1966年にエキザクタ・レアル(Exakta real)を発売した[51][52]。しかし、エキザクタ・レアルが商業的に成功することはなかった。エキザクタの製造に情熱を注いでいたスティーンベルヘンが1967年3月に歿すると、その後、イハゲー・ウエストが自らカメラを製造することはなく、日本のOEMメーカーのカメラをエキザクタブランドで販売した。また、1976年のイハゲー・ウエスト倒産後は、日本のカメラメーカーがエキザクタのブランド名を使用してカメラの製造・販売を行った。 エキザクタ・レアルマウント
M42スクリューマウント
エキザクタマウント
エキザクタ・レアルマウントのレンズレンズマウントはφ46mmとエキザクタマウントよりも一回り大径化[54]された内式自動絞り機構を備える専用バヨネットマウントで、シュナイダー・クロイツナッハ、アルベルト・シャハト・ウルムなどからレンズが供給された他、豊富なエキザクタマウントレンズを使用できるレンズ側に装着するタイプのマウントアダプターも販売された。
脚注注釈出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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