ウェズレー・ローズ
ウェズレー・ハーマン・ローズ(Wesley Herman Rose[1]、1918年2月11日 - 1990年4月26日)は、アメリカ合衆国の音楽出版事業経営者、音楽プロデューサー。 生涯ソングライターだったフレッド・ローズの息子として、イリノイ州シカゴに生まれ、公認会計士を目指して勉強した。スタンダード石油で会計士として働いた後、父の誘いに応じて、テネシー州ナッシュビルに移り、1945年から、父が共同経営者のロイ・エイカフとともに設立した音楽出版社エイカフ=ローズ・ミュージックに参画することとなった[1]。事実上の経営を任されたウェズレーは優れた手腕を発揮し、それまでの放送音楽協会(Broadcast Music Incorporated, BMI)との提携に加え、別会社ミレーネ・ミュージック(Milene Music)を作って米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)とも提携するなど、この事業を大きく成長させた[1]。ウェズレーが経営にあたったおかげで、父フレッドは共同経営者の立場に留まりながらも、楽曲づくりに時間を割くことができた[1]。1954年に父が死去すると、ウェズレー・ローズは同社の社長となり、世界中に提携先を広げていった。 ウェズレー・ローズは、カントリー音楽産業が発展する上で、非常に重要な役割を演じた。ローズは1958年のカントリーミュージック協会(CMA)の設立に際して舞台裏で大きな推進力となり、ナッシュビルの音楽出版事業者として初めて、米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)や、米国音楽出版社協会(Music Publishers' Association)の執行役員となった[1]。1961年、ウェズレー・ローズは、カントリー音楽の殿堂の設立に際して共同創設者のひとりとなった[2]。 1985年、ローズとエイカフは、エイカフ=ローズ・ミュージックが所有する楽曲に関する諸権利を、ゲイロード・エンターテインメント(Gaylord Entertainment Company)の完全子会社であるゲイロード・ブロードキャスティング(Gaylord Broadcasting)に売却した[1]。1986年、ウェズレー・ローズはカントリー音楽の殿堂の殿堂入りを果たし、父の仲間入りをすることになった[3]。 ウェズレー・ローズは、1990年にナッシュビルで死去した。 出典・脚注
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