ウィレム・デ・フェッシュウィレム・デ・フェッシュ(Willem de Fesch, 1687年8月26日 アルクマール - 1761年1月3日 ロンドン)は、オランダ出身のバロック音楽の作曲家でヴィオローネ奏者。中年以降はイギリスで活動した。 生涯父ルイス・デ・フェッシュ(1657-?)はリエージュ出身の音楽家で、若いころアムステルダムに住み、ヨハンナ・ウィレムス・ブラハト・マースと結婚して間もなく1685年にアムステルダムから30キロ北西のアルクマールに移り住んだ。そこで2番目の息子ウィレムが生まれ、1700年代の初めにアムステルダムに戻った[1]。 ボン宮廷の副楽長カール・ロジェに師事し、その娘マリア・アンナ・ロジェと結婚した。1710年にはアムステルダムのカイザー運河のそばにあるアムステルダム市立劇場で音楽家としてデビューしている。 1710年から1725年までアムステルダムで活動し、1725年から1731年までアントウェルペンの聖母大聖堂の楽長を務めた。 その後1731年、イギリスに渡って、ソリストとして活動した他、教育と作曲に携わっている。1746年にゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの楽団でヴィオローネを演奏した。1748年と1749年にマリルボーン・ガーデンで指揮をとった記録が残っている。1750年以降は公の場での活動を行っていない。 1761年にロンドンに没した。 作品作品には 『ユディト』(1732) と 『ヨセフ』(1746) のオラトリオの他、トリオ・ソナタなどの室内楽曲、協奏曲、歌曲などがある。オラトリオは2曲とも失われたと考えられていたが、1980年になって 『ヨセフ』 の手稿譜が、ベルギーの音楽学者ペーター・アンドリーセンによってロンドンの王立音楽アカデミーで発見された。このオラトリオは1984年にヨス・スヴィレンスの指揮でベルギーで再上演され、1987年にはヨス・ファン・インマゼールの指揮によって、オランダのアルクマール音楽祭で上演された。ムジカ・アド・レーヌムの演奏による CD も発売されている[1]。 作風はヘンデルとアントニオ・ヴィヴァルディの影響を受けたものである。 今日も生き残っているフェッシュの作品は、オランダ→アメリカの音楽学者ロバート・タスラーの科学的な校訂を経て、アムステルダムの出版社ドネムスからまとめて発行された。タスラーはまたフェッシュについて 『ウィレム・デ・フェッシュ――傑出した音楽家にして貴重な人物』(2005年) という書物を書いている[1]。 出版作品
脚注文献
外部リンク |