ウィリアム・ライオネル・ワイリー
ウィリアム・ライオネル・ワイリー(William Lionel Wyllie、1851年7月5日 - 1931年4月6日)はイギリスの画家である。艦船や海戦を描く海事画家として有名になった[1][2]。 略歴ロンドンのカムデン・タウンで画家の父親と歌手の母親の間に生まれた[3]。父親の違う義理の兄に、有名な画家になるライオネル・パーシー・スマイス(Lionel Percy Smythe: 1839-1918) がいて、子供時代にスマイスから絵を学んだ。弟のチャールズ・ウィリアム・ワイリー(Charles William Wyllie: 1853–1923)も画家になった。 ワイリーの一家は夏はフランスで暮らし、絵の才能を父親や兄から褒められた。ロンドンの美術学校(Heatherley School of Fine Art)で学び、15歳になった1866年からロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで、エドウィン・ランドシーアやジョン・エヴァレット・ミレー、フレデリック・レイトンといった有名画家に学んだ[4]。 ![]() 18歳の1869年に優れた風景画にアカデミーが授与するターナー・ゴールド・メダルを受賞した[3]。1870年代初めは雑誌「The Graphic」に海事を題材にしたイラストレーターとしても働いた[3]。 1875年にアカデミーの展覧会で2点の作品が落選した後、しばらく作品制作を止め、長い船旅でヨーロッパ各地を何度か訪れ、海事画家としての土台を築いた。 多作な作家で、ロイヤル・アカデミーの展覧会のほか、水彩画や版画の王立協会や、ニュー・イングリッシュ・アート・クラブなどの多くの展覧会に出展した。 1875年にイギリス芸術家協会(Society of British Artists)、1882年に王立水彩画家協会(Royal Institute of Painters in Water Colour)、1887年にニュー・イングリッシュ・アート・クラブの会員になった。1889年にロイヤル・アカデミーの準会員に選ばれ、1907年に正会員に選ばれた[3]。1903年に王立画家・版画家協会(Royal Society of Painter-Etchers and Engravers) の会員になった。 作品
参考文献
関連書籍
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