ウィリアムス・ニカ
ウィリアムス・ニカ(英: Nyika Williams、1987年7月9日-)は、セントビンセント・グレナディーン出身のプロバスケットボール選手。ポジションはセンター。元セントビンセント・グレナディーン男子バスケットボール代表。現在は日本国籍を取得しており日本代表としても活躍している。2023年日本代表。 来歴大学までセントビンセント島にあるセントビンセント・グレナディーンの首都・キングスタウンで生まれて17歳までを過ごした後、兄を頼って米国に渡り、ニューヨークのMonsignor McClancy Memorial高校に進学。カンザス州のバートンコミュニティ大学在籍時の2008-09シーズンはカンザス・ジェイホーク・コミュニティ・カレッジ・カンファレンスウエストディヴィジョン優勝に貢献して、カンファレンスのMVPとオールカンファレンスチーム、ナショナル・ジュニア・カレッジ・アスレティック・アソシエーションのサードチームに選出された。その後2009年から2011年にかけてはNCAAのパシフィック大学に在籍し、2シーズンで66試合に出場した[1][2][3]。同大学で、元富山のサム・ウィラードと一緒にプレーをした。 プロ選手キャリア大学卒業後にプロ選手となり2011年8月に日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)の高松ファイブアローズと契約。2011-12シーズンは50試合に出場し、2012年3月31日の信州ブレイブウォリアーズ戦でシーズンハイの32得点15リバウンドを記録。シーズン1試合平均は13.2得点、8.1リバウンドで、フィールドゴール成功率55.4パーセントはリーグランキング4位、1試合平均ダンクシュート成功本数1.1本(トータル55本)はランキング6位だった[4]。高松在籍時の登録名はニカ・ウィリアムス。 2012年9月、新規参入チームの群馬クレインサンダーズと契約[5]。2012-13シーズン途中の11月30日、埼玉ブロンコスに移籍[6]。埼玉移籍後は40試合に出場し、1試合平均13.5得点、12.2リバウンド。シーズン合算では10.58リバウンドでリーグ9位に入った。 2013-14シーズンはチュニジアのJSケルアンと契約[7]。 2014-15シーズン、bjリーグ開幕後の11月15日に埼玉ブロンコスに再び加入した[8]。34試合に出場し、1試合平均のリバウンド数(9位)、ブロックショット数(7位)、フィールドゴール成功率(6位)、ダンク成功本数(3位)の4部門でリーグトップ10入りした。 2015-16シーズンはNBLの広島ドラゴンフライズに移籍し、53試合に出場した。2015年秋ごろに日本国籍取得を決意した[9]。 bjリーグとNBLが統合してBリーグが発足した2016-17シーズンは2011-12シーズン以来、5シーズンぶりにB2の香川ファイブアローズ(旧高松)に復帰し、57試合に出場した。 2017-18シーズンは、B2の愛媛オレンジバイキングスに移籍した。フィールドゴール成功率B2トップの63.6パーセントで1試合平均13.8得点を記録した。 2018-19シーズン、B1の秋田ノーザンハピネッツに移籍、前田顕蔵コーチと再合流した[10]。新入団会見では、「日本が大好きです。全力を出してポジティブなエナジーを与えたい。得点もリバウンドも1試合平均2桁を狙う。いままでのチームでやってきたバスケとは違い、新鮮な気持ち。多くの勝利分かち合えるよう頑張りたい。」と英語で述べた[11]。同シーズンは秋田で2試合出場した後、同年12月21日、B2の福島ファイヤーボンズへ期限付移籍し、12試合出場で平均18.3得点。 2019年4月19日、帰化申請が認められ、官報に告示された。 2019-20シーズンは秋田で32試合に出場し、FG成功率55.9パーセントで1試合平均8.1得点。 2020-21シーズンはB1の島根スサノオマジックに移籍。59試合出場で1試合10.9得点。FG成功率64.3パーセントはリーグで3番目の高確率だった。 2021-22シーズンも島根に所属。シーズン53試合出場で、1試合7.4得点、FG成功率69.4パーセントはリーグ1位。フリースロー成功率はキャリアでベストの70.2パーセントだった。プレイオフにも5試合に出場。 島根には2023-24シーズン終了まで所属し[12]、オフに三遠ネオフェニックスへ移籍した[13]。 日本代表歴2019年6月、同年度バスケットボール男子日本代表チーム第2次強化合宿のメンバーに選ばれた[14]、7月には第41回ウィリアム・ジョーンズカップ日本代表に選ばれ[15]、8試合に出場した[16]。 2022年、約3年ぶりに日本代表候補に選出され[17]、8月に国際親善試合Softbankカップ・イラン戦に出場。 記録
脚注
関連項目外部リンク
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