イーピゲネイアイーピゲネイア(古希: Ἰφιγένεια, Īphigeneia, ラテン語: Iphigenia)は、ギリシア神話に登場するミュケーナイの王女である。長母音を省略してイピゲネイアとも表記される。 父はミュケーナイ王アガメムノーン(従弟のタンタロスの娘という説もある)、母はスパルタ王女クリュタイムネーストラー。妹にエーレクトラー、弟にオレステースを持つ。 父アガメムノーンによって女神アルテミスの生贄に捧げられた彼女の悲惨な最期は、エウリーピデースの悲劇『アウリスのイーピゲネイア』の題材とされている。 アルテミスをアルテミス・イーピゲネイアと呼称した例があることから、イーピゲネイアは本来アルテミスの分身またはアルテミスと同一視された女神だったと考えられている[1]。 悲惨な最期『アウリスのイーピゲネイア』に描かれる父王の葛藤とうら若い王女の話は悲劇として名高い。また、英雄と名高いオデュッセウスがここでは非情な謀略に長けた武将と描かれ、義憤から王女を救おうとする勇士アキレウスと対比されている。 弟メネラーオスの頼みによってトロイア戦争に参加したアガメムノーンは出征を前にしてアウリスの港に近い森で狩を楽しんでいた。次々に獲物をしとめ気分が高揚した王は思わず口を滑らせる。 「私の腕前には狩の女神たるアルテミスもかなわないであろう。」と 戦を前にして有力な神を怒らせるのは愚の骨頂といってもいい暴挙である。案の定怒りに燃えた女神は逆風を起こし兵団が出発できないようにしてしまった。 特にアルテミスは侮辱する人間に対して、猟犬に八つ裂きにさせる、子供を皆殺しにする、疫病をはやらせるなど、特に残酷な手段を辞さない女神であり、しかも彼女が贔屓にしていたのは敵方のトロイアであったため生半可な手段では怒りが静まらないことは必定であった。 そこで神託を問うたところ「娘を生贄にささげよ」とのこと。アガメムノーンは苦悩の挙句、娘を犠牲にする決断をして妻クリュタイムネーストラーが留守を守る城へ縁談を知らせる嘘の手紙を届ける。クリュタイムネーストラーとイーピゲネイアは手紙を読むと大いに喜び、美しい晴れ着一式を持って迎えの船に乗り込んだ。 実はクリュタイムネーストラーが溺愛する娘の命を奪うことを承知しまいと、アガメムノーンはオデュッセウスの献策で一騎当千の勇将で美貌の若武者アキレウスとイーピゲネイアの婚礼を挙げると言う名目で二人を迎えさせたのであった。喜び勇んだクリュタイムネーストラが何も知らないアキレウスに婚礼の挨拶に出向いたことで、婚礼の話は嘘ということが判明し母子は幸福の絶頂から不安の底に突き落とされる。 喜びに胸を膨らませて父の元に向かったイーピゲネイアを待っていたのは、兵団のためにわが身を犠牲にしろという恐ろしい父の言葉だった。悲嘆に暮れ並み居る勇者たちに娘の助命を願い出るクリュタイムネーストラーに対し、イーピゲネイアは王女の務めとしてわが身を捨て国のために生贄となることを承諾する。半狂乱で身を投げ出して嘆く母と義憤から勇士たちの先頭に立って助命を叫ぶ憧れの男性アキレウスを宥め、気高い王女は婚礼の衣装を身に着けたまま祭壇で命を落とした。 憎悪を燃やすクリュタイムネーストラーだけでなく、イーピゲネイアを呼び出す口実に使われたアキレウスはあまりに悲惨な王女の最期に憤り、アガメムノーンに対する怒りを深めたという。 この後日談にあたる『タウリケーのイーピゲネイア』では、イーピゲネイアの気高い振る舞いに同情したアルテミスが怒りを和らげ、最後の瞬間彼女を救い出して、タウリケーの自分の神官にすえたとされる。こちらでは母殺しの罪で彷徨う弟オレステースとの再会を果たし、ネメシス達の怒りも和らいで狂気の発作から解放されたオレステースと共に帰国しエーレクトラーとも再会するという後日談が付いている。やがて、アポローンによって弟の罪は清められ苦しみも癒え、母の計らいで無理やり農民の妻にされていた妹も弟の親友と結婚して王族に復帰する。 系図
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