イラクリ・ラバーゼ
イラクリ・ラバーゼ(Irakli Labadze、グルジア語: ირაკლი ლაბაძე、1981年6月9日 - )は、ジョージア・トビリシ出身の男子プロテニス選手。ジョージア国籍の選手として初めてATPランキングトップ100位に到達した選手である。ツアー優勝の経験はないが、ダブルスで3度の準優勝がある。自己最高位はシングルス42位、ダブルス100位。身長188cm、体重85kg。左利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 来歴ラバーゼはサッカー選手であった父の指導の下、6歳からテニスを始めた。1998年ウィンブルドン選手権ジュニア男子シングルスで、ロジャー・フェデラーに敗れて準優勝になったことがある。同年にプロ入り。下部大会でしばらく下積み生活を送った後、2001年頃からランクも上昇し、ツアー大会にも出場できるようになる。9月の上海オープン1回戦で、当時ランキング2位のアンドレ・アガシをストレートで下す番狂わせを演じた。この年はダブルスでツアー2大会で準優勝を遂げ、シングルスより一足先にトップ100に食い込んでいる。 ラバーゼは2004年にランキングの更なる飛躍をみせた。年初のネクストジェネレーション・アデレード国際からシングルス5連敗という不調の中出場した3月のインディアンウェルズ・マスターズにおいて同年シングルス初勝利を挙げ、続く2回戦では当時世界ランク7位のカルロス・モヤを下し勢いに乗ったラバーゼはティム・ヘンマンとの準決勝まで進出する。また4月のエストリル・オープンにおいても準決勝に進出。上記の活躍から同年6月にはシングルスランキングを自己最高位の42位まで上昇させた。 2005年以降はトップ100から転落しているものの、ラッキールーザーとして出場した2006年ウィンブルドン選手権で久々の好成績を出した。この大会ではシングルスでラファエル・ナダルとの4回戦まで進み、ダブルスでも3回戦に進出した。これは単複ともに彼の4大大会自己最高成績である。 ラバーゼは2011年8月のサマルカンド・チャレンジャーのダブルスに出場したのを最後に公式戦から遠ざかっている。 ソビエト連邦の解体によるジョージアの独立以降、WTAツアーで単複10勝を挙げ、バルセロナ五輪でEUN選手団として出場し、ダブルス銅メダルを獲得したレイラ・メスヒや若手のアンナ・タチシビリが台頭しているが、国際的な活躍を果たした男子選手はラバーゼとラバーゼ以来のトップ100入りを果たしたニコロズ・バシラシビリのみである。 ATPツアー決勝進出結果ダブルス: 3回 (0勝3敗)
4大大会シングルス成績
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
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