イザベル・ジーンズ
イザベル・ジーンズ(Isabel Jeans、1891年9月16日 - 1985年9月4日)は、イギリスの女優。舞台や映画に出演している。アルフレッド・ヒッチコック監督の映画や、1958年のミュージカル映画「恋の手ほどき」での大叔母アリシアの役などで知られている。 幼少期と経歴美術評論家の娘としてロンドンに生まれる[1]。最初は歌手になることを考えていたのだが、1908年、15歳の時にロンドンで初舞台を踏む。これは、ハーバート・ビアボーム・トゥリーの招きによるものだった。ブロードウェイには、1915年1月に「愚かな妻と結婚した男」への出演で、そして1915年2月の「真夏の夜の夢」でのタイタニア役を務めることでデビューしている[2]。1919年のロンドンでのミュージカル「キッシング・タイム」ではメルシア・メリヴェイル夫人役を務めている[3]。1923年には、ロンドンのヒズ・マジェスティズ・シアターでのジェイムズ・エルロイ・フレッカー・プロダクションの作品「ハッサン」に出演している。たまたまこの作品の音楽を担当していたのがフレデリック・ディーリアスで、ミハイル・フォーキンが振り付けを担当した「House-of-the-Moving Walls」でも音楽を担当している[4]。1924年にはロンドンのプリス・オヴ・ウェイルズ・シアターで上演されたアイヴァー・ノヴェロの作品「ネズミ」に出演している。翌1925年にはロンドンのリリック・シアターでリチャード・ブリンズリー・シェリダンの作品「恋がたき」で、クロード・レインズ、レインズの前妻マリー・ヘミングウェイ、レインズのその当時の妻ベアトリクス・トムソンらと共演している[5]。 映画への出演、晩年アルフレッド・ヒッチコック監督のサイレント映画、「ダウンヒル」(1927)と「ふしだらな女」(1928)への出演の他、イギリス映画に出演している。その後、1937年に始まるハリウッド映画に貴婦人役で出演、ヒッチコックの「断崖」(1941)の他、バナナ・リッジ(1942)、ギギ(1958)、ア・ブレス・オヴ・スキャンダル(1960)などに出演した。 その他、ロンドンで1936年に「幸福な偽善者」に出演している[6]。また、ブロードウェイでは1930年の「The Man in Possession」でのクリスタル・ウェザビー役、1948年の「Make Way for Lucia」でのエメリン・ルーカス夫人役がある。イギリスの作品では、アントン・チェーホフの作品「かもめ」(1949年、ロンドンのリリック・シアター、またセント・ジェイムズ・シアター)、ジャン・アヌイの作品「アルデール」(1951年、ヴォードヴィル・シアター)、ノエル・コウォードの作品「ザ・ヴォルテクス」(1952年、リリック・シアター)、ウィリアム・コングリーヴ作「ザ・ダブル・ディーラー」(1959年、オールド・ヴィック・シアター、その他のこの劇場での作品にこの年一杯ジュディ・デンチと共に出演する)。ジーンズは、オスカー・ワイルドの作品のウエスト・エンドでの上演にも出演し、「ウィンダミア夫人の扇」(1945年、ヘイマーケット・シアター、ジョン・ギールグッド監督、1966年にはロンドンのフェニックス・シアターでも上演)、「つまらぬ女」(1953年、サヴォイ・シアター)、「真面目が肝腎」のブラックネル夫人(1968年、ヘイマーケット・シアター)などが挙げられる[7][8]。 家族と私生活ジーンの兄デズモンドは俳優でありボクサーでもあった。一方、妹のウルスラは性格女優として名を馳せ、俳優のロジャー・リヴジーと結婚している。 ジーンは2度結婚している。1度目は俳優クロード・レインズとで、1913年から1918年まで結婚していた。2度目の相手は弁護士で劇作家のギルバート・エドワード・ギリー・ウェイクフィールドで、1920年から彼が亡くなる1963年まで一緒だった。競馬とポーカーを好んだ[1]。 参照
外部リンク
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