アーン伯爵 Earl Erne
紋章記述
Arms :Argent a Lion rampant Azure
Crest :A Dragon's Head couped Vert emitting fire from the mouth and ears proper Supporters :On either side a Lion Azure each crowned with an Earl's Coronet proper
創設時期 1789年 8月19日 創設者 ジョージ3世 貴族 アイルランド貴族 初代 2代男爵ジョン・クライトン 現所有者 7代伯ジョン・クライトン 相続人 なし 推定相続人 チャールズ・クライトン 付随称号 アーン子爵 アーン男爵 ファーマナ男爵(UK ) 現況 存続 邸宅 クロム城 (英語版 ) モットー God Send Grace
アーン伯爵 (英 : Earl Erne )はイギリスの伯爵 、貴族 。アイルランド貴族 爵位。アーン男爵 を前身として、政治家ジョン・クライトン が1789年 に叙位されたことに始まる。
歴史
一族の邸宅クロム城 (英語版 )
伯爵家の祖アブラハム・クライトン (1703-1772) はリフォード選挙区 (英語版 ) 選出のアイルランド庶民院 議員を務めたのち、1768年にアイルランド貴族としてファーマナ県クロム城のアーン男爵 (Baron Erne, of Crom Castle in the County of Fermanagh) に叙されてアイルランド貴族院 に列した[ 1] [ 2] [ 3] [ 4] 。彼が1772年に没すると、爵位は息子ジョンが継承した[ 2] [ 3] 。
2代男爵ジョン (1731-1828) も父同様の選挙区から立候補、アイルランド庶民院に在籍した[ 3] [ 5] 。彼は1781年にファーマナ県におけるクロム城のアーン子爵 (Viscount Erne, of Crom Castle in the County of Fermanagh) を授けられたのち、1789年にはファーマナ県におけるクロム城のアーン伯爵 (Earl Erne, of Crom Castle in the County of Fermanagh) に昇叙した[ 2] [ 3] 。なお、両爵位ともにアイルランド貴族爵位である[ 3] 。
初代伯ののちはその息子アブラハム(2代伯)が爵位を襲ったが彼には子がおらず、甥のジョンが3代伯となった[ 2] [ 3] [ 4] 。これ以降は現在に至るまでジョンの直系男子によって爵位は継承され続けている[ 3] 。
3代伯ジョン(1802-1885) は貴族代表議員 に選ばれたほか、ファーマナ県統監 (英語版 ) を務めた[ 3] [ 4] 。彼は1876年に連合王国貴族 爵位のファーマナ県におけるリズナスキーのファーマナ男爵 (Baron Fermanagh, of Lisnaskea in the County of Fermanagh) に叙されたため、以降の伯爵家当主は1999年 の貴族院法 制定まで自動的に貴族院 に籍を得ることができた[ 3] [ 4] 。また、3代伯は家名のスペリングを『Creighton』から『Crichton 』へと改めるとともに、以降の当主はこれを踏襲している[ 註釈 1] [ 4] 。
4代伯ジョン・ヘンリー(1839-1914) は自身の死の2ヶ月前に、長男ヘンリー(1872-1914) を第一次世界大戦 で亡くしていたため、その孫のジョンが爵位を相続した[ 3] [ 6] 。しかし、彼もまた32歳の時に第二次世界大戦 の西部戦線 に斃れて、親子二代続けて戦争の犠牲となった[ 3] [ 7] 。
なお、5代伯ジョン(1907-1940) 及びその息子6代伯ヘンリー(1937-2015) は親子二代にわたって、時の国王の名誉小姓 (英語版 ) を務めている[ 3] [ 8] [ 9] 。とくに6代伯は小姓筆頭(First page of honour)としてジョージ6世 の最晩年に選ばれたため、引き続きエリザベス2世 付小姓も1954年 まで仕えた[ 3]
その子である7代伯ジョン(1971-) が2020年現在のアーン伯爵家現当主である[ 3] 。
伯爵家の邸宅は、アイルランド島 ファーマナ県 ニュータウンバトラー (英語版 ) に位置するクロム城 (英語版 ) [ 3] 。
現当主の保有爵位
現当主である第7代アーン伯爵ジョン・ヘンリーマイケル・ニニアン・クライトンは以下の爵位を有する[ 3] 。
第7代ファーマナ県におけるクロム城のアーン伯爵 (7th Earl Erne, of Crom Castle in the County of Fermanagh) (1789年 8月19日 の勅許状によるアイルランド貴族 爵位)
第7代ファーマナ県におけるクロム城のアーン子爵 (7th Viscount Erne, of Crom Castle in the County of Fermanagh) (1781年 1月6日 の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
第8代ファーマナ県におけるクロム城のアーン男爵 (8th Baron Erne, of Crom Castle in the County of Fermanagh) (1768年 7月15日 の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
第5代ファーマナ県におけるリズナスキーのファーマナ男爵 (5th Baron Fermanagh, of Lisnaskea in the County of Fermanagh) (1876年 1月13日 の勅許状による連合王国貴族 爵位)
現当主の保有する子爵位の名称は「アーン」であり、当主の名乗る伯爵位と被ることから、爵位の法定推定相続人 は家名を用いたクライトン子爵 (Viscount Crichton)を儀礼称号 として仮冒する。
一覧
アーン男爵(1768年)
アーン子爵 (1781年)
アーン伯爵 (1789年)
爵位の推定相続人 は、親族[ 註釈 2] チャールズ・クライトン(1953-)
推定相続人の法定推定相続人 は、その息子オリヴァー・チャールズ・マーティン・クライトン(1995-)。
系譜図
脚注
註釈
^ 1921年版の『デブレッツ貴族名鑑(Debrett's Peerage)』によれば、家名は『クライトン(Cry-ton)』と発音するとしている。
^ 4代伯ジョンのひ孫にあたる。
出典
^ "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800" . Ulster Historical Foundation (英語). 2020年5月16日閲覧 。
^ a b c d Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary ; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 91-92.
^ a b c d e f g h i j k l m n o p “Erne, Earl (I, 1789) ”. www.cracroftspeerage.co.uk . 2020年5月16日 閲覧。
^ a b c d e (英語) Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc . Wellesley College Library. Debrett's, since 1769,London, Dean. (1921). pp. 349-350. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/350
^ "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800" . Ulster Historical Foundation (英語). 2020年5月16日閲覧 。
^ Erne,_Earl_of . Thom's Irish Who's Who. Dublin: Alexander Thom and Son Ltd.. (1923). p. 74. https://en.wikisource.org/wiki/Thom's_Irish_Who's_Who/Erne,_Earl_of
^ Mosley, Charles, ed (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knightage . 1 (107 ed.). Wilmington, Delaware, U.S.A.: Burke's Peerage. p. 1333
^ “No.39430 ”. The Gazette 1 January 1952. 2020年5月18日 閲覧。
^ “No.32262 ”. The Gazette 18 March 1921. 2020年5月18日 閲覧。
関連項目