アーロン・ワード (DD-483)
アーロン・ワード (USS Aaron Ward, DD-483) は、アメリカ海軍のグリーブス級駆逐艦。艦名はアーロンワード海軍少将に因み、この名の艦として2隻目となる。 アーロン・ワードは1943年4月7日にソロモン諸島のツラギ島沖の浅瀬でい号作戦によって撃沈された。沈没した船体は1994年9月4日に発見された。 造船アーロン・ワードは1941年1月11日にニュージャージー州カーニーフェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社で起工し、アーロン・ワード海軍少将の娘であるホリダー・ワードによって1941年11月22日に進水した。そして、1942年3月2日にオリビー・F・グレゴール中佐指揮下で就役した。 就役メイン州カスコ湾沖のテスト航海に続いて、その後の待機のためブルックリン海軍工廠に入港した。アーロンワードは1942年5月20日に太平洋に向かって出航し、パナマ運河経由でサンディエゴへ向かった。 しばらくしてミッドウェー海戦が発展しアメリカ西海岸まで展開される可能性が出てくると、その駆逐艦はウィリアム・パイ海軍中将配下の四隻の戦艦と護衛空母ロングアイランドからなるタスクフォース1の一員となって、太平洋に出撃し、最終的にサンフランシスコから2200km沖、つまりカリフォルニア沖でほとんどハワイ北東まで到達した。それは日本軍に対する進行中の作戦行動を支援するためであった。 6月17日、護衛空母ロングアイランドのタスクフォースからの離脱に伴って、アーロン・ワードは母港サンディエゴに向かった。 第二次世界大戦第三次ソロモン海戦(1942年11月13日)
撃沈・い号作戦1943年4月7日、13時30分ごろアーロン・ワードはLST-449のガダルカナル島のトグマ岬沖までの護衛の任務につき目的地に近付きつつあった(このときのLST-449の乗員の中には後にアメリカ合衆国大統領となるジョン・F・ケネディがいた)。
14時19分LST-1級戦車揚陸艦が艦隊に合流し、日本軍機の襲来に備えてジグザグ航行を行った。 発見1994年9月4日にダイバーが沈没したアーロン・ワードの船体を発見した。最初の船体へのダイビングは1994年9月25日に行われた。沈没地点の水深が深いため、ダイバーは15分が限度となっている。 勲章アーロン・ワードは第二次世界大戦で4つの従軍星章を受賞した。 関連項目外部リンク |