アヴァロン (アルバム)
『アヴァロン』(Avalon)は、ロキシー・ミュージックが1982年に発表したアルバム。通算8作目のスタジオ・アルバムで、2024年現在、最後のオリジナル作品。 本作は全英アルバムチャート1位に輝く大ヒットになった[2]。『ローリング・ストーン』誌が選んだ「歴代最高のアルバム500選」において336位に選ばれている[3]。 解説経緯1980年5月に発表された前作『フレッシュ・アンド・ブラッド』は、6月に全英アルバムチャートの首位を記録し、一週間でその座を降りたが、8月末に再度返り咲いて9月にかけて3週間居座った。彼等のアルバムが全英アルバムチャートの1位を記録したのは、サード・アルバム『ストランデッド』(1973年)以来のことだった。 同年12月8日にジョン・レノンが射殺されると、彼等はドルトムントのWestfalenhallenで12月19日と20日に開かれたRock Popに両日出演してコンサートを開いた際、最後にレノンを追悼して「ジェラス・ガイ」を披露した。彼等は翌週に同曲を録音して1981年2月にシングル発表すると、全英シングルチャートの首位を記録する大ヒットになった。これは彼等にとって初の快挙だった[4]。1981年の彼等は、1976年から約3年間の解散期間を除いた約7年間の活動期間の中で、商業上の成功の頂点を極めていた。 内容アーサー王が死後に赴いたとされる伝説の極楽島「アヴァロン」をモチーフに、ブライアン・フェリーの美学が最高点に到達した作品。 正式メンバーのフェリー(ヴォーカル、キーボード)、フィル・マンザネラ(ギター)、アンディ・マッケイ(オーボエ、サクソフォーン)は、前作に起用したセッション・ミュージシャンに加えてパーカッショ二ストとヴォーカリストを招聘して、ナッソーのコンパス・ポイント・スタジオとニューヨークのザ・パワー・ステイション・スタジオで本作を録音した[5]。 タイトル曲でスキャットを歌うヤニック・エティエンヌはハイチ出身のヴォーカリスト。本作がニューヨークで録音されていたある日曜日、フェリーがスタジオの廊下にあったコーヒーの自動販売機の側でハイチのコーラス・グループを偶然見かけて、そのメンバーだった彼女の歌声に圧倒されて起用したという[6]。 「トゥ・ターン・ユー・オン」は、シングル『ジェラス・ガイ』[7]のB面収録曲として既に発表されていた[注釈 1]。 ジャケットに後ろ姿が映る女性は、後に元フェリー夫人になったLucy Helmoreである[8][注釈 2]。 収録曲特記なき楽曲は、全曲ブライアン・フェリー作。
サイド1
サイド2
パーソネルロキシー・ミュージック
アディショナル・ミュージシャン ※番号はCDのトラック・ナンバーを示す。
ツアーから解散へ本作は1982年5月に発表され、全英アルバムチャートの1位を記録したあと、トップ75に一年以上登場し続けた[9]。 本作発表後のツアーは、1982年8月中旬から10月1日までヨーロッパ各国とイギリス、1983年2月に日本[注釈 3]、同年4月末から5月末までアメリカとカナダで行なわれた。メンバーはフェリー、マンザネラ、マッケイ、アラン・スペナー(ベース)、ニール・ハバード(ギター)、アンディ・ニューマーク(ドラム)、ガイ・フレッチャー(キーボード)、ジミー・マーレン(パーカッション)、フォンジ・ソ―ントン(バック・ヴォーカル)、ミシェル・コブス[10](バック・ヴォーカル)、タワサ・アジー(バック・ヴォーカル)の計11名[11]。 1982年8月27日のフレジュス公演の模様は、VHS『ザ・ハイ・ロード』(1983年)[12]とアルバム『ハート・スティル・ビーティング』(1990年)として発表された。また同年9月30日のグラスゴー公演の音源からは、4曲入りEP『ザ・ハイ・ロード』(1983年)が発表された。 ツアー終了後、ロキシー・ミュージックは解散した[13]。 脚注注釈出典
引用文献
外部リンク |