アンリ4世 (海防戦艦)
アンリ4世(アンリよんせい、Henri IV, アンリ・キャトル)は、20世紀初めのフランス海軍の海防戦艦[要出典]。艦名はフランス王アンリ4世(Henri IV, 1553年 - 1610年)にちなんで付けられた。 概要海防戦艦として建造されたが、実際出来たのは二等戦艦と呼ぶべきもので、船体が当時の主力艦の8割程度の大きさしかなかったが、外洋航行時の安定性も良く、航続性能も10ノットで6000海里と、当時としては主力艦と互角の性能を持っていた。 艦形について設計はエミール・ベルタンが腕を振るい、新機軸を惜しげもなく盛り込んだ本級は船としての出来もよく、見かけの奇妙さとは一転して実際の外洋航行性能は良好だった。本艦は沿岸部での行動の為に、船体の吃水を浅く取る典型的な海防戦艦の船型である。外洋航行時の凌波性を向上させるために艦首の乾舷を高くとった船首楼船体である。排水量を低く抑えるため、船体は水線部から上は極端に狭められて体積を減らし、高い艦首とは対照的に艦尾甲板は低くされていた。 高い艦首からさらに一段甲板が上がって「1896年型27cm(40口径)ライフル砲」を単装砲塔に収め1基、同甲板上に艦橋とミリタリーマスト、2本煙突の両脇には片舷1基ずつボート・クレーンが計2基配置された。船体中央部最上甲板に砲盾の付いた「1893年型14cm(45口径)速射砲」を単装砲架で1基ずつ、船首楼に舷側ケースメイト配置で2基を装備し、簡素な後部マストの背後に砲塔に収められた14cm砲が後ろ向きに1基の計7基が配置された。そこから甲板一段分下がった喫水線すれすれの後部甲板上に後部主砲塔が後ろ向きに1基配置され、疑似的な背負い式配置となっていた。 艦歴シェルブールで1897年7月15日に起工、1899年8月23日に進水したが、就役したのは1903年9月であった[1]。建造費用は1566万フランであった[2]。 アンリ4世は第一次世界大戦では最初はビゼルトの警備艦であったが、新編されたシリア戦隊 (escadre de Syrie) 1915年2月に編入された。この部隊は、シリア、レバノン、パレスチナ、シナイ半島のトルコ軍陣地や連絡網に対する攻撃のためのものであった。1915年3月18日のダーダネルス海峡突破作戦で連合国軍が大きな損害を受けると、アンリ4世は沈没した戦艦ブーヴェや損傷した戦艦ゴーロアの代替としてダーダネルス作戦でのフランス部隊に移された。1915年4月25日のフランス軍の上陸支援でアンリ4世はダーダネルス海峡のアジア側のKum Kaleを砲撃し、同月中は火力支援を行った。この間、アンリ4世は8回被弾している。[3] 1914年11月、アンリ4世の138.6mm砲3門が取り外され、セルビアのフランス海軍部隊に送られた[4]。エジプトへ移された後、1918年にはタラントで母艦となり[5]、1920年に除籍されて翌年解体された[6]。 脚注参考文献
参考書籍
外部リンク
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