アンリ・ロワイエ
アンリ・ロワイエ(Henri Paul Royer、1869年1月22日 - 1938年10月31日)はフランスの画家である。ブルターニュの人々を描いた風俗画の画家として知られる。 略歴ムルト=エ=モゼル県のナンシーで生まれた。父親のジュール・ロワイエ( Jules Royer:1845-1900)はナンシーに版画の出版工房を創立した人物で、ロワイエは美術愛好家たちのなかで育った[1]。ナンシーの美術学校(École de dessin et de peinture de Nancy)で学び、後に有名な肖像画家となるエミール・フリアン (1863-1932)と知り合った[2]。ナンシーでの展覧会に出展し、評価された後、フリアンとオランダで1888年まで修行した[3]。 フランスに戻った後、パリのエコール・デ・ボザールに入学し、1890年からは、アカデミー・ジュリアンでジュール・ジョゼフ・ルフェーブルやフランソワ・フラマンに学んだ。1890年からサロン・ド・パリに出展を始め、風俗画や肖像画を出展し、貴族や政治家、科学者などの肖像画を描いた。多くの展覧会で入賞して、1900年にはレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した 。1901年からアカデミー・ジュリアンで教えた[4] 。アンリ・ロワイエの教えた学生にはジョルジーナ・デ・アルブケルケやエティエンヌ・ビュフェ、ジョルジュ=エミール・ルバックらがいる。 1896年になって、妻とブルターニュに移り、それ以降ブルターニュで生涯のほとんど間、暮らした。多くの画家がブルターニュの風景を描くのを好んだのに対して人物画を好んだ。ブルターニュの人々と親しくなるためにブルトン語を学んだ。ロワイエの人物画はブルターニュの伝統衣装に注意を払われて描かれていた。 第一次世界大戦が始まると軍務に就き、1915年に戦功十字章を受勲した。1931年、レジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した。 作品
脚注
参考文献
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