アンドリュー・ワーナー
アンドリュー・スティーブン・ワーナー(Andrew Steven Werner、1987年2月25日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ピオリア出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 経歴プロ入り前2005年に、ワシントン・コミュニティー高等学校を卒業した。 2006年から2007年までは、イリノイ・セントラル大学に在籍した。 2008年から2009年までは、インディアナポリス大学に在籍した。2009年5月16日の大学最後のサザン・インディアナ大学戦では、11奪三振を記録している[1]。2009年のMLBドラフトではどの球団からも指名されなかった。 独立リーグ時代2009年のドラフト後、独立リーグであるフロンティアリーグに加盟しているエバンズビル・オッターズと契約を結んだ。この年は、10試合(4試合で先発)登板し、3勝2敗・防御率5.46・41奪三振を記録した[2] 2010年は、3試合に先発登板し、1勝1敗・防御率2.45・24奪三振を記録した[2]。シーズン途中に、同リーグのウィンディシティ・サンダーボルツへ移籍した。ここでは、16試合に先発登板し、10勝4敗・防御率3.51・73奪三振を記録した[2]。 独立リーグでプレーする傍らでユリーカ大学で投手コーチも務めていた[3]。 マイナー時代とパドレス時代2010年10月13日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[4]。 2011年は傘下のA級フォートウェイン・ティンキャップスで開幕を迎えた。ここでは、12試合で先発登板し、2勝6敗・防御率3.44・52奪三振を記録した[2]。その後、A+級レイクエルシノア・ストームに昇格した。ここでは、13試合に先発登板し、5勝2敗・防御率3.03・55奪三振を記録した[2]。 2012年は、プライベートでは1月に結婚を果たした[3]。シーズンでは、開幕をAA級サンアントニオ・ミッションズで迎えた。ここでは、18試合に先発登板し、4勝8敗・防御率3.23・89奪三振を記録した[2]。その後、AAA級ツーソン・パドレスに昇格した。ここでは、4試合に先発登板し、1勝2敗・防御率5.79・20奪三振を記録した[2]。8月22日にメジャー初昇格を果たし[5]、同日のピッツバーグ・パイレーツ戦で、メジャーデビュー。この試合では、アンドリュー・マカッチェンから三振を奪っている[3]。メジャーでは、8試合に先発登板し、2勝3敗・防御率5.58・35奪三振を記録した[2]。 アスレチックス傘下時代2012年11月16日にタイソン・ロス、A.J.カービィジョーンズとのトレードでアンディ・パリーノと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した[6]。 2013年は開幕を、傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツで迎えた。この年は、27試合(26試合で先発)登板し、12勝14敗・防御率5.78・11奪三振を記録した[2]。11月4日にスコット・カズミアーを40人枠に登録するためDFAとなった[7]。12月12日にAAA級サクラメントに降格した[8]。 2014年は開幕をAA級ミッドランド・ロックハウンズで迎えた。この年は、14試合(8試合で先発)に登板し、2勝4敗・防御率6.32・36奪三振を記録した[2]。2015年3月24日にリリースされた[6]。 独立リーグ時代2015年4月2日に、独立リーグであるカナディアン・アメリカン・リーグのオタワ・チャンピオンズと契約した[9]。22試合に登板し、12勝8敗、防御率3.36の成績を残したが、シーズン終了後に退団した。この年限りで現役を引退した。 現役引退後2016年から母校のイリノイ・セントラル大学のアシスタントコーチに就任し、2017年からはサウスカロライナ大学エイケン校で、2018年からはヤングハリス大学、2019年8月からはブラッドリー大学で投手コーチを務めている[10]。 詳細情報年度別投手成績 (MLB)
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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