アンセルモ・モレノ
アンセルモ・モレノ(Anselmo Moreno、1985年6月28日 - )は、パナマのプロボクサー。パナマ県サン・ミゲリート出身。元WBA世界バンタム級スーパー王者。 来歴2002年3月10日、チリキ県バホ・ボケテでフセイン・サンチェス(パナマ)とスーパーフライ級4回戦を行い、4回3-0(3者共40-35)の判定勝ちを収めデビュー戦を白星で飾った。 2002年8月3日、ベラグアス県エル・マラニョンでハビエル・テージョ(パナマ)とライトフライ級4回戦を行い、4回1-1の判定で引き分けた。 2002年10月26日、ベラグアス県サンティアゴ・デ・ベラグアスでリカルド・モリナ(パナマ)とライトフライ級4回戦を行い、プロ初黒星となる4回1-2の判定負けを喫した。 2005年1月18日、パナマ県サン・ミゲリートでリカルド・モリナ(パナマ)とWBAフェデセントロスーパーフライ級王座決定戦を行い、9回TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。 2005年8月20日、パマナシティに舞台を移しWBAフェデセントロスーパーフライ級王者でパナマスーパーフライ級王者のリカルド・モリナ(パナマ)と再戦し、WBAフェデセントロ王座への返り咲き、パナマ王座の獲得に成功した。 2006年5月5日、パナマシティでフェリックス・マチャド(ベネズエラ)とWBAフェデセントロ並びにWBAフェデボルバンタム級王座決定戦を行い、10回3-0の判定勝ちを収めWBAフェデセントロ王座の2階級制覇、WBAフェデボル王座の獲得に成功した。 2006年9月6日、ポルトープランスでフランクリン・バレラ(ベネズエラ)と対戦し、10回3-0の判定勝ちを収めWBAフェデセントロ王座の初防衛に成功した。 2007年2月3日、パナマシティでネストール・ウーゴ・パニアグア(アルゼンチン)とWBAフェデカリブバンタム級王座決定戦を行い、10回3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。 2007年6月2日、パナマシティのアレナ・ロベルト・デュランでトマス・ロハス(メキシコ)と対戦し、10回3-0の判定勝ちを収めWBAフェデカリブ王座の初防衛に成功した。 2007年8月16日、パマナシティでWBAフェデセントロ王座の防衛戦とWBA世界バンタム級王座への挑戦権を懸けWBA世界バンタム級7位のリカルド・バルガス(メキシコ)と対戦し、初回1分6秒TKO勝ちを収めWBAフェデセントロ王座の2度目の防衛とウラジミール・シドレンコへの挑戦権獲得に成功した。 2008年5月31日、WBA世界バンタム級王者ウラジミール・シドレンコ(ウクライナ)に挑戦し、12回3-0(2者が116-112、116-113)の判定勝ちを収め王座を獲得した。 2008年9月18日、WBA世界バンタム級13位のセシリオ・サントス(メキシコ)と対戦し、7回3-0(3者共に70-63)の負傷判定勝ちを収め初防衛に成功した[1]。 2008年10月30日、WBA世界バンタム級7位のロリー松下(フィリピン/カシミジム)と対戦し、12回3-0(120-108、119-109、118-110)の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した[2]。 2009年5月2日、ウラジミール・シドレンコと再戦し、12回2-1(2者が115-113、113-115)の判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した。 2009年7月4日、フランス・ポワチエでWBA世界バンタム級のマヤル・モンシプール(フランス)と対戦し、12回2-1(113-115、116-113、116-112)の判定勝ちを収め4度目の防衛に成功した[3]。 2009年12月4日、フレデリック・パトラック(フランス)と対戦し、11回TKO勝ちを収め5度目の防衛に成功した。 2010年3月27日、暫定王者ネオマール・セルメニョ(ベネズエラ)と王座統一戦を行い、12回2-1(114-113、115-112、112-115)の判定勝ちを収めを王座統一に成功した(記録上は正規王座の6度目の防衛)[4]。 2010年8月14日、WBA世界バンタム級1位のネオマール・セルメニョと再戦し、12回2-1(117-112、115-113、113-115)の判定勝ちを収め7度目の防衛に成功[5]、WBAからスーパー王座に認定され、スーパー王者になった[6]。 2011年6月17日、WBA世界バンタム級2位ロレンソ・パーラ(ベネズエラ)とパナマシティのアレナ・ロベルト・デュランで対戦。消極的なパーラに対しファンからは大ブーイングが起き野次まで飛ばされた。モレノ自身が両手を上げて挑戦者の奮起を促すも終始前に出ず、8回終了後パーラが拳の負傷を理由に棄権しTKO勝ちを収め8度目の防衛に成功した[7]。対戦相手のパーラはその後「全てのベネズエラ国民に謝罪したい」と話し引退を表明した。 2011年12月3日、カリフォルニア州アナハイムのホンダセンターでIBO世界バンタム級王者ビック・ダルチニアンと対戦、 12回3-0(116-111、117-110、120-107)と1人が13点差をつけた判定勝ちを収め完勝し、9度目の防衛に成功した[8]。 2012年4月21日、テキサス州エルパソのドン・ハスキンズ・コンベンション・センターでWBA7位のデビッド・デ・ラ・モラと対戦し、9回TKO勝ちを収め10度目の防衛に成功した[9]。 2012年11月10日、ロサンゼルスのステイプルズ・センターでWBC世界スーパーバンタム級王者アブネル・マレスと対戦し、5回にダウンを奪われ、11回にはモレノがマレスの頭を引っ張ったという理由で1点減点されるなど劣勢を強いられ、12回0-3(2者が110-116、106-120)の判定負けを喫し2階級制覇に失敗した[10]。 2013年8月10日、パナマシティのメガポリス・コンベンションセンターでWBA世界バンタム級15位ウィリアム・ウリナ(コロンビア)と対戦し、12回3-0(116-112、2者が118-110)の判定勝ちを収め11度目の防衛に成功と共に再起に成功した[11][12]。 2014年3月22日、パナマシティのアレナ・ロベルト・デュランでWBA世界バンタム級11位のハビエル・チャコンと対戦し、この試合はハーフポイント制を採用して行われたが[13]、2回にチャコンから2度ダウンを奪うなど試合を優勢に進め、スピードと持ち前のボディーワークを駆使したモレノが12回3-0(118-108、117-108、117.5-109.5)の判定勝ち収め12度目の防衛に成功した[14][15]。 2014年9月26日、テキサス州メスキートのメスキート・アリーナで、WBA世界バンタム級2位のファン・カルロス・パヤノと指名試合を行うが、2回にバッティングでパヤノが左目上を深くカットしてしまい、その傷が原因で7回開始前にドクターストップがかかり、6回0-3(55-59、2者が56-58)の負傷判定負けを喫し13度目の防衛に失敗、6年4ヵ月間保持した王座から陥落した[16][17]。 2015年9月22日、大田区総合体育館でWBC世界バンタム級王者山中慎介(帝拳)に挑戦し、12回1-2(115-113、2者が113-115)の判定負けを喫しWBAに続く王座獲得に失敗した[18][19]。 2016年4月30日、パナマシティのアレナ・ロベルト・デュランで元WBC世界スーパーフライ級王者でWBC世界バンタム級1位のスリヤン・ソー・ルンヴィサイとWBC世界バンタム級シルバー王座決定戦を行い、12回3-0(117-109、116-108、117-110)の判定勝ちを収めWBCシルバー王座の獲得に成功、WBC世界バンタム級王者山中慎介への再戦の権利を獲得した[20][21]。 2016年9月16日、大阪府立体育会館でWBC世界バンタム級王者山中慎介と1年ぶりに再戦し初回に左フックで上述のマレス戦以来約4年ぶりのダウンを奪われるも、4回に右フックで山中をダイブさせるダウンを奪い返す。5回にはダウン寸前まで追い詰めたが、6回に左ストレートでダウンを追加され、7回にはカウンターの左ストレートとコンビネーションからの左ストレートで2度ダウンを奪われ試合終了。プロ初のKO負けとなる7回1分9秒TKO負けを喫しWBAに続く王座獲得に失敗、リングマガジン王座獲得に失敗した[22][23]。敗戦後、スーパーバンタム級に転向した[24][25]。 2017年5月27日、パナマシティのセントロ・デ・コンベンシオネス・フィガリで元WBC世界スーパーバンタム級王者のフリオ・セハとWBC世界スーパーバンタム級挑戦者決定戦を行い、3回2分32秒KO負けを喫しレイ・バルガスへの挑戦権獲得に失敗した[26][27]。 2017年6月1日、パナマで放送されたテレビ番組「ロ・メホール・デル・ボクセオ」(ザ・ベスト・オブ・ボクシング)で「医療上の査定」を理由に現役引退を発表した[28][29]。 2019年4月13日、パナマシティにて復帰戦を行い、8回3-0の判定勝ちを収め復帰戦を白星で飾った。 復帰後、数戦を行い2024年4月17日に後楽園ホールで7年7ヶ月ぶりの来日試合として元OPBF東洋太平洋フェザー級王者でWBA世界フェザー級10位の堤駿斗と対戦予定だったが、前日計量で堤がフェザー級契約体重の57.15kgを1.5kg超過し、2時間後の再計量でも50gしか落とせなかったため計量失格となった。両陣営と協議した結果、当日計量で堤が61.12kg以下をパスした場合のみ試合が成立し、堤は60.95kgでパスしたため試合成立。試合は3回2分45秒KO負けを喫し自身初の日本人ボクサー初勝利は持ち越しとなった。 戦績
獲得タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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