アレクサンドル・ブロークアレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・ブローク(Алекса́ндр Алекса́ндрович Блок, 1880年11月28日(ユリウス暦11月16日) - 1921年8月7日)は、ロシアの詩人。 ロシア・シンボリズムを代表する作家。 略歴サンクトペテルブルク出身。ワルシャワで法学を教える父をはじめ、親戚にはインテリが多い。学生時代にはウラジーミル・ソロヴィヨフの思想やフョードル・チュッチェフ、アファナーシー・フェートの詩に親しんだ。 1903年、高名な化学者であるドミトリ・メンデレーエフの娘と結婚する。妻となった女性にブロークは処女詩集「うるわしの淑女」を捧げたが、彼女は後にブロークの親友である小説家アンドレイ・ベールイと浮気していたことがわかっている。 当初はロシア革命を好意的に迎えたが間もなく幻滅し、その後死に至るまでの3年間はまったく詩を書くことができなかった。その事情についてブロークは、マキシム・ゴーリキーに「人間の知恵への信頼」が失われた、と述べ、知人コルネイ・チュコフスキーには「全ての音が止まってしまった。君にももう聞こえないだろう?」と語っている。 革命直後の食糧難もあってブロークは間もなく壊血病などに罹って健康を害し、1921年になって医師が治療のためにブロークの出国許可を政府に申請したが、許可は下りなかった。見かねたゴーリキーは5月29日にアナトリー・ルナチャルスキーへ「ブロークはロシア一の詩人である。彼が出国できないまま死んだら、あなたたちが殺したも同然だ」と書簡を送ったが、出国許可が下りたのはブロークが死去した3日後だった。死因は心内膜炎だった。 ブロークはレニングラード(現・サンクトペテルブルク)のスモレンスク墓地に埋葬されたが、1944年に同地のヴォルコヴォ墓地のLiteratorskie Mostkiに改葬されている。 主な作品革命期のペテルブルクをめぐる12人の赤軍兵士を十二使徒に見立て、聖と俗を独特の韻律でつないだ長編詩「十二」が特に有名。ラストに登場する人物はイエス・キリストともとれると物議をかもした。 日本語文献
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