アレクサンドル・オベチキン
アレクサンドル・ミハイロヴィチ・オベチキン(ロシア語: Александр Михайлович Овечкин, ラテン文字転写: Alexander Mikhailovich Ovechkin、1985年9月17日 - )は、ソビエト連邦モスクワ出身のロシアのプロアイスホッケー選手。ポジションはレフト・ウィング。ナショナルホッケーリーグ(NHL)のワシントン・キャピタルズに所属し、キャプテンも務める。愛称はオビー(Ovi)。 経歴アマチュア時代母タチヤナによれば、オベチキンがアイスホッケーに興味を持ったのは2歳の時だったという。ある時、母親に連れて行かれた玩具店で2歳のオベチキンはおもちゃのアイスホッケースティックをつかむと、買ってもらうまで離さなかった[1]。幼年時はテレビでアイスホッケーの試合を欠かさず見るようになり、両親がチャンネルを変えようとすると嫌がった [1]。8歳の時にアイスホッケースクールに通い始める[1]。 少年時代の好きなチームはピッツバーグ・ペンギンズとHCディナモ・モスクワだった。好きな選手はペンギンズのマリオ・ルミューとディナモのアレクサンドル・マリツェフであった[2][1]。 両親は仕事で忙しく、息子をスケートリンクまで送迎できないことがあり、アイスホッケーを断念せざるを得ない状況になったことがあった。だが、オベチキンの才能を見抜いていたコーチと兄セルゲイは両親を説得し、オベチキンはアイスホッケーを続けることができた[2]。 その後、HCディナモ・モスクワのアイスホッケースクールに誘われる[2]。 プロ入りとディナモ・モスクワ時代2000年にディナモのトップチームに加入した[2]。 2001年に当時16歳でロシア・スーパーリーグデビュー。2001-02年シーズンは21試合に出場し2ゴール2アシストを記録した。 2002年の第13回U-18アイスホッケー選手権で自身初めてロシア代表に選出された。同大会で8試合に出場し、14ゴール4アシストを記録し。ロシアを優勝に導いた[2] [3]。 2002-03シーズンはディナモの定期試合で15ポイント(8ゴール7アシスト)を記録。シーズン中の2002年12月から2013年1月にかけて開催された第27回世界ジュニアアイスホッケー選手権のロシア代表に選出された。 2003年は4月に開催された第14回U-18アイスホッケー選手権のロシア代表に選出された。6月にはNHLドラフトでフロリダ・パンサーズはオベチキンを獲得しようとしたが、当時のNHLの規則で18歳の誕生日に2日足りなかったため、移籍は実現しなかった[2]。 キャピタルズ時代2004年のNHLドラフト1巡目全体1位でワシントン・キャピタルズに指名され、NHL入り。しかし、NHLはロックアウトに突入。2004-05シーズンは開催されなかったため、NHLで試合に出場することは無かった。8月から9月に開催された第2回ワールドカップ・オブ・ホッケーのロシア代表に選出された。 2004年12月から2005年1月に開催された第29回世界ジュニアアイスホッケー選手権のロシア代表に選出された。4月から5月に開催された第69回アイスホッケー選手権のロシア代表にも選出された。 2005-06年シーズンは開幕戦でデビューを果たし、アリーナの壁の部分の金属支柱を吹っ飛ばす「フィジカルプレー」を見せた。それだけでなく、2ゴールを決め、ド派手なデビューを果たした。その後も順調にゴールとアシストを決めたオベチキンは新人としては最多の106ポイントをあげ、シドニー・クロスビーとの熾烈な「カルダーカップ(最優秀新人)」争いを制した。また、シーズン中の2月に開催されたトリノオリンピックのアイスホッケー男子ロシア代表に選出された。5月に開催された第70回アイスホッケー世界選手権のロシア代表にも選出された。 2006-07年シーズンは92ポイントと不振で、クロスビーに差をつけられたが、それでも46ゴールをマークした。4月から5月に開催された第71回アイスホッケー世界選手権のロシア代表に選出された。 2007-08年シーズンはまさに「オベチキン・イヤー」ともいえる活躍で、65ゴールをあげた。彼の112得点はNHL1位となり、2位のエブゲニ・マルキンとともにロシア人でNHL得点ランキングのワンツーフィニッシュを果たした。また、チームもオベチキンの活躍などでプレーオフに進出。5月に開催された第72回アイスホッケー世界選手権のロシア代表に選出された。 2008-09年シーズンは成績が多少なりとも落ちるのは予想されていたが、それでも50ゴール100得点を突破、2年連続の得点王とはいかずも、2年連続MVP受賞で、「リーグ最強選手」として名を上げつつある。 2009-10年シーズンは開幕から好調で1試合1個近いペースでゴールを量産。しかし怪我を煩う。復帰後は勢いは落ちたが、安定して貢献している。12月にはトレードされたクリス・クラークに代わりキャプテンに任命された。2007年までは「オベチキン一人のチーム」といった感じで、チームもプレーオフとは無縁であったが、彼にスコアリングチャンスを与えられるアレクサンドル・セミンやニクラス・ベックストローム、マイク・グリーンといった面々が台頭してきて、チームもプレーオフ争いに参加できるようになった。また、2月に開催されたバンクーバーオリンピックのアイスホッケー男子ロシア代表に選出された。また、5月に開催された第74回アイスホッケー世界選手権のロシア代表に選出された。 2011年4月から5月に開催された第75回アイスホッケー世界選手権のロシア代表に選出された。 2012年5月に開催された第76回アイスホッケー世界選手権のロシア代表に選出された。 2012-2013年シーズンはロックアウトの影響でキャピタルズのチームメイトのベックストロームと共に古巣のHCディナモ・モスクワでプレーした。KHL初出場を果たした。ロックアウト終了後、ベックストロームと共にキャピタルズに復帰。 5月に開催された第77回アイスホッケー世界選手権のロシア代表に選出された。 2014年2月に開催されたソチオリンピックのアイスホッケー男子ロシア代表に選出された。5月に開催された第78回アイスホッケー世界選手権のロシア代表に選出された。 2015年5月に開催された第79回アイスホッケー選手権のロシア代表にも選出された。 2016年5月に開催された第80回アイスホッケー選手権のロシア代表にも選出された。 2016-17年シーズンはシーズン開幕前の9月に開催された第3回ワールドカップ・オブ・ホッケーのロシア代表に選出された。シーズンでは2017年1月11日にピッツバーグ・ペンギンズとの試合において試合開始35秒で先制点を記録。このゴールはオベチキンにとってNHLでの通算1,000ポイント目となった。またNHLで84人目となる1,000ポイントプレイヤーとなった[4]。 2017-2018シーズンはチームが1998年以来となるスタンレー・カップ・ファイナルに進出[5]。オベチキンにとっては初となるスタンレー・カップ・ファイナルとなった。ベガス・ゴールデンナイツとのスタンレー・カップ・ファイナルでチーム初となるスタンレー・カップ優勝を果たし[6]、スタンレー・カップ・ファイナルでの活躍が評価され、コーン・スマイス賞を受賞した[7]。 2019年5月に開催された第83回アイスホッケー選手権のロシア代表に選出された。 2021年7月27日に5年総額$47,500,000でキャピタルズと契約延長した[8]。 2021-2022年シーズンは2022年2月3日にNHLオールスターゲームに選出されたが、COVID-19に感染したため辞退している[9]。 人物父のミハイル・オベチキンはサッカー選手、母のタチアナ・オビチキナはバスケットボール選手で1976年モントリオール五輪と1980年モスクワ五輪の2大会で金メダルを獲得している。 2012年12月にテニス選手のマリア・キリレンコと婚約した[10]が、2014年7月に婚約解消を発表した[11]。 EAスポーツのNHLシリーズでは「NHL07」と「NHL 21」でカバーを務めた。 元プロアイスホッケー選手であるイリヤ・ニクーリンとは同郷の出身という事もあって親友であり、彼はオベチキンの息子の名付け親でもある。 詳細情報レギュラーシーズンとプレーオフでの成績Bold indicates led league
国際大会での成績
表彰
記録背番号
代表歴
脚注
外部リンク
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