アルマンド・サ
アルマンド・サー(Armando Sá, 1975年9月16日 - )は、モザンビーク出身の元サッカー選手。モザンビーク代表であった。ポジションはDF。 同国出身の選手としては珍しく、旧宗主国であるポルトガル以外の強豪リーグでプレーした経験をもつ。 経歴クラブポルトガル時代20代前半はポルトガルの小クラブでプレーした。1998年にリオ・アヴェFCに移籍し、そこでのパフォーマンスはSCブラガの目に留まるほどだった。ブラガでは数ヶ月だけプレーし、2001年12月に同僚のリカルド・ロチャやティアゴ・メンデスとともにSLベンフィカに移籍した。移籍当初は明確なレギュラーではなかったが、2シーズンで51試合に出場した。 スペイン時代2004年夏にスペインのビジャレアルCFに移籍し、8月30日のバレンシアCFとのバレンシアダービーでデビューした。この試合は左サイドバックとしてフル出場した[1]。2004-05シーズンは20試合に出場した。クラブ最高位の3位にはいり、翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。UEFAカップは準々決勝のAZアルクマール戦ファーストレグなど4試合に出場した。 2005年夏にRCDエスパニョールに移籍し、8月28日のヘタフェCF戦でデビューした。2005-06シーズンはやはり20試合に出場したが、途中出場が多く後半戦は出場機会自体が少なかった[2]。カディスCF戦とセルタ・デ・ビーゴ戦の2試合でレッドカードを受けた[2]。このシーズンにはスペインでプレーした2シーズンで唯一の得点を決めている。コパ・デル・レイの決勝でレアル・サラゴサに勝利し、4度目の優勝を果たした。2006-07シーズンは出場機会がなかった。 イングランド時代2007年1月にFLチャンピオンシップ(2部)のリーズ・ユナイテッドFCにレンタル移籍した。このシーズンのリーズにはアンゴラ代表のルイ・マヌエル・マルケス、トリニダード・トバゴ代表のトニー・ワーナー、アイスランド代表のギルフィ・エイナルションなど小国出身の選手が多数いた[3]。FAカップのウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦でデビューした。左右のサイドバックのほか、中盤でプレーすることもあった。 イラン時代2007年7月、イラン2部リーグのフーラードFCに移籍した。フーラードはサの義父である元ポルトガル代表監督のアウグスト・イナシオが新監督に就任していた。1年で1部昇格を達成し、サはセパハンFCに移籍した。 モザンビーク代表モザンビーク代表として23試合に出場した。 タイトル
脚注
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