アルフレッド・フィッツロイ (第8代グラフトン公爵)第8代グラフトン公爵アルフレッド・ウィリアム・メイトランド・フィッツロイ(英語: Alfred William Maitland FitzRoy, 8th Duke of Grafton、1850年3月3日 – 1930年1月10日)は、イギリスの貴族。 生涯第7代グラフトン公爵オーガスタス・チャールズ・レノックス・フィッツロイと妻アンナ(Anna、旧姓バルフォア(Balfour)、1857年12月23日没、ジェームズ・バルフォアの末娘)の次男(長男ヘンリー・ジェームズは1912年に子供をもうけないまま死去)として、1850年3月3日に生まれた[1]。 1869年2月3日、エンサイン(歩兵少尉)としての辞令を購入して、第52歩兵連隊に配属された[2]。1871年11月1日、中尉に昇進した[3]。1872年7月17日、コールドストリームガーズに転じた[4]。1878年12月26日、マスケット銃教官(Instructor of Musketry)に任命された[5]。1881年10月29日に軍務から引退[6]、1882年2月1日までにマスケット銃教官を辞任した[7]。 1918年12月4日に父が死去すると、グラフトン公爵位を継承した[1]。 1883年5月19日、ノーサンプトンシャーの副統監に任命された[8]。1920年3月15日、サフォークの副統監に任命された[9]。ほかにもノーサンプトンシャーとサフォークの治安判事を務めた[1]。 1930年1月10日に死去、息子に先立たれたため孫ジョン・チャールズ・ウィリアムが爵位を継承した[1]。 家族1875年4月27日、マーガレット・ローズ・キャリントン=スミス(Margaret Rose Carrington-Smith、1913年3月10日没、エリック・キャリントン=スミスの三女)と結婚、1男2女をもうけた[1]。
1916年1月8日、スザンナ・メアリー・ボースウィック(Susanna Meary Borthwick、1961年10月3日没、初代準男爵サー・マーク・マクタガート=ステュアートの娘、第20代ボースウィック卿アーチボルド・パトリック・トマス・ボースウィックの未亡人)と再婚、2女をもうけた[1]。
出典
外部リンク
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