アルバート・アブレイユ
アルバート・エマニュエル・アブレイユ・ディアス(Albert Emmanuel Abreu Dias、スペイン語発音: [al.ˈβɛɾt a.ˈβɾeu̯][1], 英語発音: [ˈælbɚt əˈbru][2];1995年9月26日 - )は、ドミニカ共和国モンテ・クリスティ州グアユビン出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのシンシナティ・レッズ傘下所属。 経歴プロ入りとアストロズ傘下時代2013年8月にアマチュア・フリーエージェントでヒューストン・アストロズと契約してプロ入り。 翌2014年に傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・アストロズでプロデビュー。14試合に先発登板して3勝2敗、防御率2.78、54奪三振を記録した。 2015年はアパラチアンリーグのルーキー級グリーンビル・アストロズでプレーし、13試合(先発7試合)に登板して2勝3敗1セーブ、防御率2.51、51奪三振を記録した。 2016年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・アストロズ、A級クァッドシティーズ・リバーバンディッツ、A+級ランカスター・ジェットホークスでプレーし、3球団合計で24試合(先発16試合)に登板して3勝8敗4セーブ、防御率3.72、115奪三振を記録した。 ヤンキース時代2016年11月17日にブライアン・マッキャン及び金銭とのトレードで、ホルヘ・グーズマンと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[3]。 2017年は傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキース、A級チャールストン・リバードッグス、A+級タンパ・ヤンキースでプレーし、3球団合計で14試合(先発13試合)に登板して2勝3敗、防御率3.38、61奪三振を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、スコッツデール・スコーピオンズに所属した。11月20日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[4]。 2018年にMLB.comが発表したプロスペクトランキングでは74位、ヤンキースの組織内では5位にランクインした[5][6]。この年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキース、A+級タンパ・ターポンズ[注 1]、AA級トレントン・サンダーでプレーし、3球団合計で17試合に先発登板して4勝6敗、防御率5.20、74奪三振を記録した。 ![]() 2019年はAA級トレントンでプレーし、23試合(先発20試合)に登板して5勝8敗、防御率4.28、91奪三振を記録した。 2020年8月8日にメジャー初昇格を果たし[7]、同日のタンパベイ・レイズとのダブルヘッダー第1試合でメジャーデビュー[8]。この年メジャーでは2試合に登板した。 2021年5月17日にジャンカルロ・スタントンの故障者リスト入りに伴い、メジャー昇格した[9]。この年は28試合に登板して2勝0敗1セーブ、防御率5.15、35奪三振を記録した。 レンジャーズ時代2022年4月2日にホセ・トレビーノとのトレードで、ロバート・アールストロムと共にテキサス・レンジャーズへ移籍した[10]。5月30日にDFAとなった[11]。 ロイヤルズ時代2022年6月2日にヨハンセ・モレルとのトレードで、カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[12]。6月17日にDFAとなった[13]。 ヤンキース復帰2022年6月21日にウェイバー公示を経てヤンキースへ移籍した[14]。2023年11月17日にノンテンダーFAとなった[15]。 西武時代2023年12月7日、埼玉西武ライオンズへの入団が発表された[16]。背番号は54。推定年俸は1億5000万円[17]。2024年はシーズンを通して抑えを任され、52試合に登板。2勝5敗11ホールド28セーブを記録し、セーブ数は則本昂大に次ぐリーグ2位であった。 レッズ傘下時代2025年1月30日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[18]。 投球スタイル
最速100.4mph(約161.6km/h)にも達する速球が武器である。テイクバックの小さなフォームで投げており、打者はタイミングが取りにくいと言われる[20]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録NPB
背番号
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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