アモルを売る女
『アモルを売る女』(アモルをうるおんな、フランス語: La Marchande d'Amours)は、フランスの画家、ジョゼフ=マリー・ヴィアン(1716-1809)が、1763年描いた油絵である。紀元79年のベスビオ火山の噴火で溶岩と火山灰の下に埋まり、1759年に発掘されたナポリ近郊のスタビアエ(Stabiae)の街の古代ローマの壁画を元に描かれた作品である。女性が買い求めたアモル(ローマ神話の愛の神で、クピードーまたはキューピットの別名)を行商人が籠からつまみ出して渡しているという意匠である。 新古典主義の初期の絵画である。ルーブル美術館が所有するが、フランス、フォンテーヌブローのMusée national du Château de Fontainebleauに貸し出されている[1]。 作者のジョゼフ=マリー・ヴィアンは1744年からローマに留学し、1750年までローマに滞在した。その後、古代ローマやギリシャの女性の人物画を描いて成功していた。『アモルを売る女』の元となった古代ローマの壁画は1759年に発見され、1762年にイタリアの画家、カルロ・ノッリ(Carlo Nolli: 1724-c.1770)の模写をもとにジョヴァンニ・エリア・モルゲン(Giovanni Elia Morghen)によって版画にされて出版されていた[2]。 ヴィアンの『アモルを売る女』は他のヴィアンの作品や元の壁画の図とともに1763年のパリのサロンに『アクセサリー売り(La Marchande à la toilette』のタイトルで展示され、大きな評判になった。もとになった作品とは構図を変え、より写実的な細部の表現になっていた。 作品は1778年頃にパリ軍事総督であった第8代ブリサック公爵ルイ・エルキュール・ティモレオンによって購入され、1788年にルイ15世の公妾であったデュ・バリー夫人に贈られた。作品はルーヴシエンヌのデュ・バリー夫人の邸に置かれていたが、フランス革命中の1791年にデュ・バリー夫人の邸は略奪にあい、絵画は国に没収された。七月王政の時代の1837年に、この作品はフォンテーヌブロー宮殿に移され、ルイ・フィリップの義理の娘、オルレアン公爵夫人の部屋に飾られた。 ギャラリー
脚注
参考文献
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