アステリモア
アステリモアとは、1938年から1940年にかけて日本で活躍したサラブレッド種の競走馬。阪神優駿牝馬(後の優駿牝馬)の初代勝ち馬である。 略歴誕生第3回東京優駿大競走(日本ダービー)に優勝したフレーモアの全妹として、1935年4月19日に土田農場で生まれた。その後、競馬評論家の大川慶次郎の父である大川義雄が馬主となり、1938年5月7日にデビューする事となる。 現役時デビュー戦は1番人気3着に終わったアステリモアは、春シーズンこそ東京優駿競走での3着など惜敗が多く5戦1勝に終わったが、秋シーズンでは阪神優駿牝馬優勝を含む3戦2勝の好成績を挙げた。阪神優駿牝馬以後は7回出走して一度も勝てなかったものの、2着3回・3着2回・4着1回・5着1回と安定した成績を残している。特に1939年シーズン最終戦の中山記念では最低人気で2着に入った。 引退後1940年4月6日のレース(2番人気2着)を最後に、アステリモアは引退して繁殖牝馬となった。八大競走初代王者の中では最も繁殖戦果が優秀で[1]、産駒には農林省賞典や中山記念を制したヒデヒカリ[2]、優駿牝馬2着のシラヨシ[3]、キヨフジ記念を制したタカツキ[4]などがいる。 血統表
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