アウルス・ポストゥミウス・アルビヌス (紀元前242年の執政官)
アウルス・ポストゥミウス・アルビヌス(ラテン語: Aulus Postumius Albinus、生没年不詳)は紀元前3世紀中期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前242年に執政官(コンスル)、紀元前234年には監察官(ケンソル)を務めた。 出自パトリキであるポストゥミウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はアウルス、祖父はルキウスである[1]。ポストゥミウス・アルビヌス家は多数の執政官を出しているが、祖先となる人物との関係は不明。紀元前234年の執政官ルキウス・ポストゥミウス・アルビヌスは息子である。 経歴第一次ポエニ戦争の最終段階であった紀元前242年に、アルビヌスは執政官に就任。同僚執政官はガイウス・ルタティウス・カトゥルスであった。アルビヌスも戦場に赴く予定であったが、マルス神殿の最高神官(フラメン・マルティアリス)でもあり、神殿を守る義務があったため、最高神祇官(ポンティフェクス・マクシムス)のルキウス・カエキリウス・メテッルスは、アルビヌスがローマを離れることを許さなかった[2]。同僚のカトゥルスはシケリアに派遣され、翌紀元前241年も前執政官(プロコンスル)として軍を率い、アエガテス諸島沖の海戦で勝利した。この海戦の敗北のため、カルタゴは講和を受け入れた。 紀元前234年には監察官に就任。同僚はガイウス・アティリウス・ブルブスであった。 脚注参考資料古代の資料
研究書
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