アウトバーン 4
アウトバーン 4(ドイツ語: Bundesautobahn 4, BAB 4 または A 4)はドイツの高速道路、アウトバーンの一路線である。 概要西のオランダおよびベルギー国境、アーヘン付近から東のポーランド国境、ゲルリッツ付近まで、583 kmの路線を持つ主要道路である。 2つの分断された区間からなる。それは以下の通りである:
西部区間はオランダ国境から東行きでノルトライン=ヴェストファーレン州南部を横断する。ケルン付近でA1とA3と交差し、両交差点の間の区間はケルン環状アウトバーンの一区間をなす。ケルンを通った後、ベルギシェス・ラント地方、ザウアーラント地方を横断し、ジーガーラント地方のクロイツタール(クロンバッハ地区)で終わる。なお、ザウアーラント地方のオルペでA45に接続する。A45、A5およびA7を経由してA4の東部区間と接続する。 東部区間はヘッセン州北東部から東行きでテューリンゲン州とザクセン州をポーランドの国境まで横断する。テューリンゲン州の州都エアフルトをはじめ、ヴァイマル、イェーナ、ゲーラ、ケムニッツおよびザクセン州の州都ドレスデン、旧東ドイツ南部の複数の主要都市を経由する。なお、ゲーラ付近でA9と交差する。ドイツの東西分断時代にアイゼナッハ付近で西ドイツと東ドイツの国境を経由した。
行程
歴史西部区間アーヘンとケルンの間の区間は1925年から計画された。建設は1936年3月22日に始まったが、該当区間の完成は1960年12月までの時間がかかった。1970年代にケルンからオルペまでの区間は建設された。オルペ付近でアウトバーン 45とつながる。オルペからクロイツタールまでの区間は2002年から2006年まで建設され、2006年12月1日に開通した。 東部区間![]() バート・ヘルスフェルトからアイゼナッハまでの区間は1934年から1943年まで建設され、1943年7月1日に開通された。これはナチス・ドイツ時代の最後のアウトバーン開通でもあった。ドレスデンからアイゼナッハまでの区間は1935年から1941年まで建設された。 A4とA13を結ぶドレスデン北JCTは1951年から1971年まで臨時サーキットとして使われた。東ドイツ時代のA4の東端終点はヴァイセンベルク付近にあったが、バウツェンとヴァイセンベルクの間の区間は1972年から1992年まで閉鎖された。 東西冷戦時代に西ドイツと東ドイツの国境をまたがった。ヘルレスハウゼン付近に両国の出入国審査検問所があった。A4の路線は東西ドイツの境界線を3回またがった。出入国審査検問所は最も東の越境点にあった。そのため、オーバーズールICからヴォメンICまでの区間は1990年まで閉鎖された。 ヴァイセンベルクからポーランド国境までの区間はドイツ再統一後1990年代に建設された。
関連項目外部リンク
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