アウグスタ (イタリア)
アウグスタ(イタリア語: Augusta)は、イタリア共和国シチリア州シラクーザ県にある都市であり、その周辺地域を含む人口約3万6000人の基礎自治体(コムーネ)。 シチリア島東岸、イオニア海に面した港湾都市で、イタリア有数の貿易港を擁し、県内第2位のコムーネ人口を持つ。 名称イタリア語以外では以下の名称を持つ。
中世にはアウグスタ(Augusta)のほか、アゴスタ(Agosta)の名称で呼ばれた。 地理位置・広がりシラクーザ県北部のコムーネで、イオニア海に面する。 アウグスタの旧市街地は島に位置する。16世紀に地峡を開削して島にしたもので、本土との間は2本の橋で結ばれている。アウグスタには2つの港がある。 隣接コムーネ隣接するコムーネは以下の通り。 行政分離集落アウグスタには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
歴史この街の付近には、古代ギリシャ時代にドーリア人の築いた植民都市メガラ・ヒュブラエアがあった。 現在の都市は1232年、神聖ローマ皇帝(シチリア王でもあった)フリードリヒ2世によって建設された。フリードリヒが自らに反対したチェントゥーリペやモンタルバーノの都市を破壊したのに代わって建設したもので、フリードリヒはこの都市を Augusta Veneranda と呼んだ。 アンジュー=シチリア家のカルロ1世(シュルル・ダンジュー)による統治を経て、アラゴン系のシチリア王国(アラゴン連合王国の一部)の領土となった。1392年以降は、モンカダ家のギジェルモ・ライモンド2世 (it:Guglielmo Raimondo II Moncada) の所領になった。1560年に王領(スペイン王領)に戻り、オスマン帝国の海賊に備えて要塞化が図られた。 1676年には、近海においてオランダ・スペイン連合軍とフランスとの海戦が行われた(アウグスタの海戦)。1693年に、街は大地震 (1693 Sicily earthquake) と津波によって大きな被害を受けている[4]。 第二次世界大戦の後半、連合国軍によるシチリア進攻作戦(ハスキー作戦)が行われたが、アウグスタは1943年7月13日にモントゴメリー将軍率いるイギリス第8軍によって上陸・占領された。 社会経済・産業アウグスタ港はイタリア有数の港湾である。港の近くには、エクソンモービル社の製油所がある。 人物著名な出身者
脚注
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