よこはま・たそがれ
「よこはま・たそがれ」は、五木ひろしの楽曲で、再デビューシングルである。1971年3月1日にミノルフォン音楽工業(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)より発売された。五木にとって、旧名義含めて通算11枚目のシングルとなる。 解説五木ひろしは1965年に“松山まさる”としてデビューし、その後に一条英一、三谷謙と芸名を変えるも全くヒットには恵まれていなかった。そこで歌手生命のすべてを賭けてよみうりテレビ『全日本歌謡選手権』に挑戦し、10週を勝ち抜く。その結果、自身4つ目の芸名である“五木ひろし”で再デビュー、という経緯がある。そのため、五木は本曲について「自分の原点であり、全てのスタートを切った曲」であると強い思い入れを持っている[1]。 演歌では一般的な五七調や七五調ではなく、四四七のリズムを採用している。また、歌詞の前半部分が、文章ではなく名詞もしくは単語だけで構成されている[2]。 発売から3ヶ月目にオリコンチャートトップ10に初登場し、7週間後には最高位である1位を記録した。2021年現在で五木にとってこの曲が唯一のオリコン1位獲得作である。 五木は本曲で第13回日本レコード大賞歌唱賞[3]の他、第2回日本歌謡大賞放送音楽賞等、多数を受賞。 また1971年の第22回NHK紅白歌合戦初出場を果たす。紅白歌合戦では1971年と2014年の第65回紅白歌合戦の2回、本曲を歌唱した[注釈 2][1]。 横浜市歌、いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」と並び、横浜のご当地ソングである。 フジテレビ系の音楽番組『夜のヒットスタジオ』の歴代最多出演回数を記録しているが、初出演時にはこの曲を披露した(1971年6月21日放送)。 マイクを左手で持ち、右手は拳を握るという構え方(五木の当時の所属事務所(野口プロモーション)がキックボクシングジムを経営していたことによる)は、この曲から始まった。 1986年8月中旬までのシングルの累計出荷枚数は108.7万枚(徳間ジャパン調べ)[4]で、同時点で五木のシングルとしては「おまえとふたり」に次ぐヒットとなっている(デュエット曲を除く)[4]。他に累計売上153万枚[5]とも。 作曲者・平尾昌晃が2017年7月の死去から3か月後、同年10月30日に平尾の音楽葬が行われ、参列した五木は布施明と二人で「よこはま・たそがれ」と「霧の摩周湖」(作詞・水島哲)を、平尾を偲びながら歌唱していた[6]。 盗作騒動この曲がヒットした後、『週刊文春』1971年10月18日号にて本作の歌詞がアディ・エンドレの詩「ひとり海辺で」と類似していると指摘し、盗作疑惑として報じた。この騒動は告訴にまで発展したがのちに和解している[7]。 収録曲
脚注注釈出典
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