ねずみ騒動(ねずみそうどう)は、1949年(昭和24年)から、愛媛県南部(南予地方)の宇和海の島嶼部および海岸部で起こったネズミの大量発生に伴う農作物や海産物などへの被害とその駆除をめぐる社会的な動きである。1963年(昭和38年)ごろに下火となり始めた。この騒動は報道により全国に知られることとなった。
経過
端緒と広がり
1949年に戸島のトウモロコシがドブネズミによって全滅したのが始まりで、翌1950年には日振島に、1954年には三浦半島、1960年には北宇和郡津島町(現宇和島市津島町)や南宇和郡まで拡大した。
駆除対策
- 1951年:北宇和郡野鼠撲滅委員会設立
- 1955年:宇和島海岸地方鼠族駆除対策委員会設立
- 駆除
- 駆除のために放たれた猫が毒餌による被害に遭うケースが多く見られた。
- パチンコ、弓張式竹罠、鼠捕網
- 蛇191匹、イタチ156頭、猫4392匹など
- 三間小学校では猫の出陣式も行われた。
- 捕鼠奨励制度(ネズミの尾を1本5円[1]で買い上げ)、栗のいが(鼠の穴に詰める)、環境的駆除(清掃など)。
しかし、どの方策も決定的な解決には結びつかなかった。
終息
1963年(昭和38年)ごろより、イワシ類の不漁によるイリコ製造の廃業[2]や、若者の村外流出による段々畑の耕作放棄などを経て、ネズミの生息環境が劣化したことから、徐々に被害は減少していった。終息したのは昭和50年頃とも伝えられる。
被害
- 当時の重要な農作物であった甘藷、麦をはじめ、トウモロコシ、大豆、小豆など。
- イリコ(いわしの煮干)などの水産加工物。
- 家屋や家具をかじられる。
- 口に乳をつけていた幼児がかじられる人身被害。
- 夜中に天井を走り回ることによる安眠妨害。
異常発生の原因
- 天敵がいない
- 浦の背後の山は頂上近くまで段々畑として耕作され、山林が少なかったのでイタチタヌキなどの野生生物の住処が少なく天敵の生息条件が整っていなかった。[3]
- 餌が豊富であった
- 宇和海の特産イリコや甘藷、麦などの農作物が豊富にあった。
- 自然環境が適していた
- 温暖で、段々畑の石垣や当時の家屋などがネズミの生息に適していた。
騒動をモチーフとした作品
外部リンク
注釈
- ^ 遊子では昭和31年に2円であったともされている。
- ^ 1960年(昭和35年)に遊子漁協が倒産する事態となった。のちに魚類養殖へ転換していくきっかけともなった。
- ^ 蛇が忌み嫌われて見つけ次第殺処分されていた習慣があったとこも災いしたとの記述もある。『愛媛県大百科事典』下巻、p294より
関連項目
- 遠戸島 - 戸島沖合の島。昭和30年代に戸島の住民によって新たに開拓された島であったが、ネズミ害のため結局、島での生活を断念、戸島に戻ったため、無人島となった。
参考文献
- 愛媛新聞社『愛媛県百科大辞典』1985年,下巻p294
- 下記に住民の語り話として掲載されている (3)変わる人々の生活 - 『えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)』(愛媛県生涯学習センター・データベース「えひめの記憶」)