つげ正助
つげ 正助(つげ しょうすけ、本名:柘植正助、1975年11月19日 ‐ )は、漫画家つげ義春の長男でマネージャー、著作家。東京都生まれ。母は、状況劇場女優であった藤原マキ[2]。1993年に石井輝男により映画化された『つげ義春ワールド ゲンセンカン主人』にも出演[3]。 人物・略歴幼少期父・つげ義春、母・藤原マキの長男で、一人っ子として東京都調布市に生まれる。2,251gの未熟児であった上、当時の父の精神不安定や、子育て方針をめぐっての両親の不和、その後の母の発病(子宮がん)などで、幼少期を不安定な家庭環境で育つ[4]。 幼少期に、つげ義春の漫画の他、『つげ義春日記』などのエッセイにもたびたび登場し、つげファンの間では知られた存在だった。特に私小説的な作品『無能の人』では、主人公・助川助三の息子として、正助がモデルの三助が登場する。世捨て人たらんとする父を現世につなぎとめる重要な存在であった。作中、三助は喘息持ちとして虚弱に描かれているが、現実には正助はそうではなく、「父の作品には虚構も交じっている」と証言している[2]。 成人後2021年3月につげ義春の全作品を網羅した『つげ義春大全』(講談社、全22巻)が完結したが、「父の作品を後世に残したい」と企画をしたのが、正助であった。全集は、一部の貸し本を除き、ほぼ発表年代順に作品を収め、雑誌掲載時のカラー原稿は最新のデジタル技術で復元したもので、現在では入手困難な貸本時代の初期作品から、旅のエッセイ、単発物のイラストも収録された。2017年頃から、つげ義春に対し講談社からさかんにオファーがあったものを、義春は断り続けていたが、これをのちに知った正助が懸命に説得し、実現した[2]。 一時、「つげ義春の息子は統合失調症」という噂が流れていたが、正助が統合失調症と診断された事はない。かつて、高齢のつげ義春が、統合失調症の息子を世話していたという話が、義春へのインタビュー記事からまことしやかに流れたが、これはある評論家から流された誤情報であって、事実ではなかった[1]。 つげ義春のマネージャーとしてその後、正助は父のマネージャーとなると、自宅に保管されていた原稿を整理。スキャン作業を行う印刷所へは自分で届けるなど奔走。台詞が剥がれ落ちるなどの個所は、自分で接着剤で貼りなおすなどし、完成に導いた。貸本時代の原稿の多くは紛失していたが、ダンプカーの事故とその顛末を描いた社会派作品と評される『なぜ殺らなかった!』(1961年)の原稿は、大全の刊行のニュースを知った原稿を所有していたファンから寄贈を受けた[2]。 正助は、貸本時代の作品群について、『ねじ式』などの芸術的と評価された作品だけが注目されるが、アイヌ文化を題材としてミステリー、戦国時代を舞台として忍者活劇、心温まる古本屋での物語など、『ガロ』以前の父が描いた種々のエンタメからは、知識量の凄さを感じるなどと語った[2]。また、父の作品について、普通の漫画ではなく、私小説的な文学性がある。リアリズムは他とは違う。『無能の人』のように作品に描かれている人物が時としてフィクションではないと読者に思われることがあるが、主人公が父自身だと思われてしまうということは、家族としては困るし、悩みや苦労はあった。それでも、自分自身、父の生き方、考え方と近いところがある、などとも語った[5]。 2020年のアングレームで開催された原画展「つげ義春 いて、いない」に尽力する[6]。 年譜
著作出演映画
脚注
関連項目外部リンク
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