レンブラントは鑑賞者の視線をスザンナに集中させるため様々な点に気を配っている。たとえば、レンブラントは師であるピーテル・ラストマンの同主題の絵画『スザンナと長老たち』(Susanna en de ouderlingen, 1614年)を知っていたが、ラストマンの横長の画面ではなく縦長の画面を選択して、長老たちを画面右端の茂みの中に配置し[2]、彼らを薄暗い茂みと同化させ、その姿が目立たないようにしている[4]。逆にスザンナの身体の描写においては、レンブラントは絵具を厚く盛り上げ、強い光を当てることで肌の白さを際立たせ、薄い絵具で描かれた不穏な雰囲気が漂う背景からスザンナの無防備な裸体を浮かび上がらせた[2][4]。これられにより劇的な効果を高め、鑑賞者が彼女の恐怖心をより強く感じられるようにしている[4]。
絵画の制作経緯や初期の来歴は不明である。絵画は18世紀にフランドルの画家ペトリュス・ヨハネス・スニエルス(英語版)が所有していた[2][3]。画家が1757年に死去すると、その翌年の1758年5月23日にアントウェルペンで行われた競売で売却され、オランダの政治家であり美術収集家ホーファールト・ファン・スリンヘラント(オランダ語版)の手に渡った[2][3]。ファン・スリンヘラントの死後、絵画は1768年5月18日にデン・ハーグで競売にかけられる予定であったが、それより早い3月1日に、ファン・スリンヘラントの全コレクションとともに50,000ギルダーで購入したのがヴィレム5世であった[2][3]。しかしフランス革命戦争でネーデルラントがフランスに占領されるとウィレム5世はイギリスに亡命した。絵画は没収されてパリに運ばれ、1795年から1815年にかけて共和国中央美術館(Muséum central des arts de la République)、その後名称を改めたナポレオン美術館(Musée napoléonien, 後のルーヴル美術館)に移された。ナポレオン退位後の1816年、絵画がウィレム5世の息子で初代オランダ国王であるウィレム1世に返還されると、ウィレム5世ギャラリー(英語版)に収蔵された。絵画がマウリッツハイス美術館に移されたのは1822年のことである[2][3]。