『二つの円のある自画像』(ふたつのえんのあるじがぞう、蘭: Zelfportret met twee cirkels, 英: Self-Portrait with Two Circles)は、オランダ黄金時代の巨匠レンブラント・ファン・レインが1665年から1669年ごろに制作した自画像である。油彩。油彩画だけで40を超えるレンブラントの自画像の中でも、特に最晩年に制作された作品の1つで、背景に謎めいた2つの円が描かれていることで知られ、様々な解釈が行われたが、いずれの説も広い合意には至っていない。現在はロンドンのケンウッド・ハウスに所蔵されている[1][2][3]。またルーヴル美術館に同時期の自画像が所蔵されている[1]。
1970年、美術史家ベン・ブロース(英語版)は、1658年のエッチング『リーフェン・ウィレムス・フォン・コペノル』(Lieven Willemsz van Coppenol)において、レンブラントがモデルの筆耕家コペノルの手元の紙に円を描き込んでいる点に注目し、カレル・ファン・マンデルがジョルジョ・ヴァザーリに基づいて紹介したイタリア人画家ジョット・ディ・ボンドーネの有名な逸話と結びつけて解釈した。それによるとジョットは画家としての自らの技術を披露するため、コンパスを用いずに円を描いたと伝えられている。そこでブロースはレンブラントがエッチングに円を描くことにより、コペノルの筆耕家としての優れた技術を象徴的に示していると指摘した。またブロースは、詩人ヨースト・ファン・デン・フォンデルが円を永遠性の象徴と解釈した詩を残していることを指摘し、レンブラントは本作品の背景に円を描き、完全性と永遠性の前に立つ自らの姿を描くことで、自身を偉大な画家であると主張しているとした[6][7]。
アンリ・ファン・デ・ヴァール(英語版)(1956年)、およびクルツ・バウホ(英語版)(1966年)は背景の2つの円は半球の地図を示していると指摘した。さらにH・ペリー・チャップマン(H. Perry Chapman)は普遍的な巨匠になるという野心を世界地図によって表したとした。しかしこの解釈はブラウン(1991年)、デ・ヨング、ヴェーテリンク(2005年)といった多くの反論によって退けられている[9]。
来歴
絵画の初期の来歴は不明である。少なくとも1750年代半ばにはフランスのヴァンス伯爵クロード=アレクサンドル・ド・ ヴィルヌーヴ(Claude-Alexandre de Villeneuve, Comte de Vence)が所有しており[2][3]、1755年にアントワーヌ・ド・マルスネ・グイ(Antoine de Marcenay de Ghuy)が版画を制作している[3]。その後、絵画はブリュッセルの何人かの個人コレクションに所蔵され、イギリスの肖像画家ジョシュア・レイノルズ卿がフランドルとオランダを旅行した際に本作品を見ている[2][3]。19世紀になると絵画はロンドンに移った。絵画を購入したのは画商ウィリアム・ブキャナン(William Buchanan)とおそらくクリスティアヌス・ヨハネス・ニーウェンハイス(Christianus Johannes Nieuwenhuys)であり、1836年に第3代ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスによって800ポンドで購入された。それから間もなく侯爵は死去し、絵画は一族に相続された。その後絵画は長年にわたって侯爵家が所有していたが、1888年に孫の第5代ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスは画商アグニューズ(英語版)に売却し、同年7月10日、初代アイヴァー伯爵エドワード・セシル・ギネスが購入した。1925年、アイヴァー伯爵はロンドンのケンウッド・ハウスを購入し、肖像画ほか62点の絵画コレクションを移した。そして1927年に死去すると、自身のコレクションを邸宅および邸宅がある敷地とともに国家に遺贈した[2][3]。