WANDS
WANDS(ワンズ)は、日本の男性3人組ロックバンド[2]。所属芸能事務所はB ZONE傘下の株式会社ギザアーティスト(Ading)。所属レコードレーベルはGIZA studio傘下のD-GO。公式ファンクラブは「WANDER-LAND NEO」(かつては「WANDER-LAND」)。 概要1991年、プロデューサーの長戸大幸を介してキーボディストの大島康祐、ギタリストの柴崎浩、そしてボーカリストの上杉昇の三人で結成、同年12月の1stシングル『寂しさは秋の色』でデビューした。翌1992年の3rdシングル『もっと強く抱きしめたなら』のリリースを最後に、楽曲制作の中心的メンバーだった大島が脱退し第1期が終了、木村真也が新たなキーボーディストとして加わり、WANDSは第2期に移行する。 中山美穂とのコラボレーション・シングル『世界中の誰よりきっと』の大ヒットによりブレイクし、4thシングル『時の扉 (シングル)』、2ndアルバム『時の扉 (アルバム)』、5thシングル『愛を語るより口づけをかわそう』、8thシングル『世界が終るまでは…』などミリオンヒットを連発、1993年には第8回日本ゴールドディスク大賞を受賞した。 しかし、1996年から1997年にかけて、自身の納得のいく音楽活動ができないことを理由に上杉が脱退、次いで柴崎も脱退した。 残った木村は新たなボーカリスト和久二郎とギタリスト杉元一生を迎えて第3期としての活動を始めた。『錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう』や『明日もし君が壊れても』など、アニメタイアップによる人気楽曲をリリースしたが、2000年に「解体」した[3]。 解体から19年後、柴崎と大島、新たなボーカリスト上原大史の三人でWANDS再始動の話が持ち上がった。楽曲制作に専念するとして脱退した大島の代わりに木村が加入し、2019年11月に第5期として再始動した。2020年1月に16thシングル『真っ赤なLip』を皮切りに、コンスタントな楽曲リリースを継続している[2]。 ライブを開催したのは第2期と第5期のみである。これまでにライブハウスやホール会場で開催した経験があるほか、第5期は「JAPAN JAM」や「Animelo Summer Live」などのイベント出演も行っており、2022年にはBREAKERZとの対バンライブも開催された。 バンド名と芸名「WANDS」というバンド名は、プロデューサーである長戸大幸が付けたもので、タロットカードのワンド(wand/wands:「魔法の杖」のこと)の中の、「理想」「情熱に向かって進む」という意味を持つ『ワンドのエース』から命名された[1][4]。 この他に、上杉(Wesugi)と柴崎(Shibasaki)の頭文字から“Wesugi AND Shibasaki”としたというものもある[5][注釈 1]。第3期メンバーの和久(Waku)と杉元(Sugimoto)、第5期メンバーの上原(Wehara)も[5]、芸名の苗字の頭文字が「W」と「S」になるように付けられている。 上杉によれば、WANDS加入直前に木村の芸名を「安藤」にし、WANDSのANDの部分に合わせようとしていたこともあったという[6]。 メンバー
来歴WANDS始動前Being音楽振興会(後のBeing Music School)に通いボイストレーニングを行う傍ら、アマチュアバンドとして活動を行っていた上杉昇は、振興会内のオーディションで高く評価された。当時の振興会の社長を介してプロデューサーの長戸大幸に紹介され、デビューの話を持ち掛けられる。ガンズ・アンド・ローゼズやLOUDNESSに憧れていた上杉だったが、ハード・ロックではなく、どちらかといえばTUBEのようなバンドとしてデビューすることが決まっていたため困惑もあったという[19]。 スタジオミュージシャンを目指していた柴崎浩は[20]、「BADオーディション」のミュージック部門に演奏音源を送り、スタジオミュージシャンではなくバンドの一員としてデビューすることを持ち掛けられた[21]。 この二人と、LOUDNESSの全米ツアーにサポートミュージシャンとして参加経験のあった大島康祐(現・大島こうすけ)[20][22]の三人でWANDSが結成された。1991年の夏頃のことである[1]。 この頃、B.B.クィーンズの『おどるポンポコリン』がミリオンセラー、年間チャート1位を記録したことや[23]、『太陽のKomachi Angel』でオリコン週間1位を記録し[24]、『LADY NAVIGATION』で自身初のミリオンセラーを記録していたB'zのブレイクがあり[25]、ビーイング系アーティストが当時のJ-POPシーンにおいて存在感を示し始めていた。 第1期(1991年 – 1992年)1991年12月4日、WANDSはシングル『寂しさは秋の色』でデビュー。これは上杉にとって初めての作詞であり[26]、以降、第1期から第2期までのWANDSの楽曲の作詞は全て上杉が行う(一部共作もある)。作曲は栗林誠一郎で、栗林からは後にシングル曲「Jumpin' Jack Boy」と「Secret Night 〜It's My Treat〜」を提供されることになる。 大島は、1stシングルに自身の曲が採用されず、さらに自分の知らないところでレコーディングが進んでいたことに不満を感じていたが[27]、翌年の2ndシングルには大島の楽曲が採用された。『ふりむいて抱きしめて』は、WANDSにとって初めての自作シングルとしてリリースされた。 その後、大島は1stアルバム(ミニアルバム)『WANDS』においても中心的に楽曲制作を行っていたが、多々納好夫作曲の3rdシングル『もっと強く抱きしめたなら』がリリースされる頃にはWANDSを脱退した[28]。大島は自身のユニットSO-Fiを結成する。 第2期(1992年 - 1996年)2代目キーボーディストとして木村真也が加入し、WANDS第2期の活動が始まった。元々、大島と柴崎、木村は学生時代の友人であり、木村の加入も柴崎の推薦だったという[29][30]。 第2期最初のリリースは、中山美穂とのコラボレーション・シングル『世界中の誰よりきっと』だった。上杉によれば、初めは歌詞の提供のみの案件だったが、コーラスとしての参加を打診され、気付いた時には中山とともにテレビに出演してパフォーマンスをすることになり、作品としてもコラボレーションの形になっていたという[31]。1992年の『第43回NHK紅白歌合戦』に中山がこの楽曲で出場した際、WANDSもサポートの形で出場した[1]。また、『もっと強く抱きしめたなら』も、この楽曲に牽引される形で徐々に売上を伸ばし、オリコンチャート登場28週目にして1位となりミリオンセラーを記録。WANDS単独で最大のヒットとなった[1]。 明くる1993年、4thシングル『時の扉』をリリース。144万枚を超える大ヒットとなった[32]。元々、大島がWANDS在籍時に書き残していた楽曲で、上杉がこの曲をやりたいと長戸に談判し、リリースに至った。続く5thシングル『愛を語るより口づけをかわそう』は『世界中の誰よりきっと』と同じ織田哲郎の提供曲で、この楽曲もミリオンセラーとなった。また、このシングルと同日に2ndアルバム『時の扉』をリリース。160万枚を超える大ヒットであり、1993年にZARDの『揺れる想い』に次いで2番目に売れたアルバムとなる[32]。5thシングル、2ndアルバムともにチャート初登場1位を記録し、どちらも4週連続でチャート首位をキープしており、「シングル、アルバムともに初登場の作品としては最長の同時首位記録」である。10月リリースの3rdアルバム『Little Bit…』も、1993年に10番目に売れたアルバムである[32]。 この時期、B'z、TUBE、ZARD、T-BOLAN、大黒摩季など、ビーイング系アーティストがヒットを連発する「ビーイングブーム」のピークであり、WANDSもその流れに組み込まれていた。B'zの『愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない』からWANDSの6thシングル『恋せよ乙女』に至る18週間は、ビーイング系アーティストがオリコン週間シングルランキング1位を記録し続けた[33]。 また、この時期は、上杉がMANISH『声にならないほどに愛しい』、DEEN『このまま君だけを奪い去りたい』、Mi-Ke『Please Please Me, LOVE』、ZYYG『君が欲しくてたまらない』の4曲の歌詞を提供していた。『Please Please Me, LOVE』以外の3曲はWANDS名義でセルフカバーしている。また、6月リリースのZYYG、REV、ZARD、そして長嶋茂雄とのコラボレーション・シングル『果てしない夢を』とそのカップリング曲『雨に濡れて』では坂井泉水と共作した。 1993年11月、7thシングル『Jumpin' Jack Boy』のリリースを境にレーベルを B-Gram RECORDSに移す。翌月にはWANDS初のライブ「VIDEO SHOOTING」を渋谷 ON AIR EASTで開催し[1]、1993年の活動を終えた。この年、シングル 4,112,008枚、アルバム 3,187,564枚の売上で第8回日本ゴールドディスク大賞を受賞した[34]。 1994年6月、8thシングル『世界が終るまでは…』をリリース。現在、WANDSとしては最後のミリオンセラーシングルであるこの曲は、上杉が元来目指していたロックミュージシャンとしての路線と、『世界中の誰よりきっと』のような商業主義音楽、ポップ路線を求められることに対するアンサーとして、同じ「世界」という言葉を被せ、それが「終る」ことを意味したものだった[35]。この年は1枚だけのCDリリースだったが、「LIVE-JUNK #0」、「LIVE-JUNK #1 KEEP MY ROCK'N ROAD」とライブ活動を本格化させた。 翌年の9thシングル『Secret Night 〜It's My Treat〜』は、栗林の『IT'S MY TREAT』という楽曲を上杉がどうしてもやりたいと懇願しリリースに至ったもので[36][37]、このシングルと同年4月の4thアルバム『PIECE OF MY SOUL』以降、WANDSの音楽性はオルタナティブ・ロック路線に舵を切る。また、4月から5月にかけて『PIECE OF MY SOUL』を引っ提げたライブツアー「LIVE-JUNK #2 PIECE OF MY SOUL」では中野サンプラザ、大阪厚生年金会館、名古屋センチュリーホールなど全国のホール会場にて11公演を行った。 同年12月、上杉と柴崎による作曲としては初めての表題曲であり、上杉が当時志向していた「ニルヴァーナ」のようなグランジサウンドを追求した10thシングル『Same Side』をリリース。公式サイト上で、第2期WANDSが再びポップな方向へ歩み寄らないことを宣言したと説明された作品[38]で、オリコン週間シングルランキングで初登場2位を記録したものの、売上は大きく落ちた。 1996年2月、柴崎と上杉、二人とも単独作曲では初めてのシングル表題曲となる11thシングル『WORST CRIME〜About a rock star who was a swindler〜/Blind To My Heart』(『WORST CRIME』が柴崎作曲、『Blind To My Heart』が上杉作曲)を発表後、ビーイングが求めるWANDSのスタイルと自身の志向する音楽活動とのずれを理由に、ベストアルバム『SINGLES COLLECTION+6』をリリースする前には上杉がWANDSを脱退[39]。具体的な時期は不明ながら、柴崎も脱退した。当初は上杉のみの脱退であったが、脱退後の上杉のマネジメントを担当する制作会社・トライコーンのKという人物がユニバーサルJより「柴崎も欲しい」と言われ、柴崎を説得し脱退させた。なお、KはWANDSのライブで舞台監督をしていた[40]。二人は後にal.ni.coを結成。 第3期(1997年 - 2000年)上杉と柴崎の脱退により活動を休止していたが、ビーイングが「WANDS」の名前を商標登録していたため、残った木村はボーカルに元ジャニーズJr.で第8回BADオーディション合格者の和久二郎と[41]、ギターにビーイングの一スタッフだった杉元一生を迎え、第3期WANDSとして活動を再開する。 1997年9月、当時デビュー直後であった小松未歩の楽曲提供により、12thシングル『錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう』を発表。オリコンデイリーチャート1位を記録し、売上も前作を上回った[41]。同年11月には2ndベストアルバム『WANDS BEST 〜HISTORICAL BEST ALBUM〜』をリリース。上杉と柴崎の関知しないベストアルバムで、第2期において唯一木村が作曲した楽曲『MILLION MILES AWAY』の第3期メンバーでセルフカバーしたバージョンを収録したこの作品が、WANDSにとって現在最後のオリコン週間アルバムランキング1位記録作品である。 その後も、13thシングル『Brand New Love』、14thシングル『明日もし君が壊れても』、15thシングル『「今日、ナニカノハズミデ生きている」』と、坂井泉水、大野愛果、後にGARNET CROWのメンバーとなるAZUKI七、rumania montevideoの三好誠らの楽曲提供でシングル計4枚、5thアルバム『AWAKE』をリリースするも、2000年3月に公式サイト上で「解体」(解散)を表明した[42]。 第3期メンバー主導で制作した3rdベストアルバム『BEST OF WANDS HISTORY』及びWANDS初の映像作品『BEST OF WANDS VIDEO HISTORY』をリリースし、WANDSは約10年の活動を終えた。 WANDS第3期はライブの開催を予定していた[43]が、実現には至らなかった。和久、杉元、木村の三人がライブの場で揃うのは、WANDS解体から16年後に実現する。 解体後(2000年 - 2019年)2002年、未発表のままとなっていた『君が欲しくてたまらない 〜WANDS Version〜』が収録されたベストアルバム『complete of WANDS at the BEING studio』がリリースされた。この後も、『BEST OF BEST 1000 WANDS』、『WANDS BEST HITS』とメンバー非公認のベストアルバムがリリースされた。2003年には、未発表曲『ささやかな愛情』を収録したコンピレーションアルバム『vocal compilation 90's hits Vol.1〜male〜 at the BEING studio』がリリースされた。 杉元は、様々なアーティストのライブサポートを経て、2002年にflow-warを、2005年にはCANDYMANを、2009年にはLIT-HUMを結成し、音楽活動における表舞台と裏方両方の活動を行う。木村は、表舞台での活動からは距離を取り、楽曲提供での活動を行う。和久は、事務所を移籍しソロでの音楽活動を試み、自宅で作詞作曲を行うも、音源のリリースには至らなかった。 2001年、al.ni.coが正式に解散した。以降、上杉はソロで活動しつつ、新しいバンド猫騙を結成する。柴崎は、2000年の反町隆史のシングル『Free』のカップリング曲『Black and White』を皮切りに他アーティストに楽曲提供を始めており、2005年には西川貴教と合流してabingdon boys schoolを結成する。 2006年のT.M.Revolutionのセルフカバーアルバム『UNDER:COVER』のレコーディングに大島と柴崎が参加。大島はアレンジャーとしても制作に関わった。2013年リリースの第2弾『UNDER:COVER 2』には大島も柴崎も楽曲のアレンジを担当した[44]。 2011年4月2日に行われた西川主催のチャリティーライブ「STAND UP! JAPAN 中央共同募金会」では前述のアルバムで大島が編曲とキーボード、柴崎がギターを手掛けた『HEART OF SWORD 〜夜明け前〜』を大島、柴崎を含むメンバーでライブ演奏している。2人のライブでの共演はWANDS時代を含め初めてであった。イベント終了後、2人が「WANDSとしてサインした」という大島がWANDS時代に使用していたシンセサイザー、YAMAHA DX7II-FDがチャリティーオークションに出品された[45]。 2011年3月28日、杉元(現・安保)が出演したライブに、和久が、本名の松元治郎名義でゲストボーカルとして参加[46]。尾崎豊の『僕が僕であるために』を歌唱している。2人のライブでの共演はWANDS時代を含め初めてであった。 その後、2012年に松元は安保の支援を受けて音楽活動を再開[47]。同年10月にリリースされた松元の初ソロアルバム『Reverb』は、安保がプロデューサーを務め、木村も楽曲提供しており、収録曲「Journey」のクレジットは「作詞 : 松元治郎 作曲 : 木村真也 編曲 : 安保一生」と第3期メンバーの名前が並んだ[48]。また、収録曲『彼方に浮かぶ月』は、『Brand New Love』と同じ綿貫正顕の作曲で、WANDS時代に一度お蔵入りになっていた楽曲だった[49]。2012年12月2日に開催された初ワンマンライブ「松元治郎 1st LIVE」で、松元と安保が再び共演した[50]。 2016年2月2日、松元は2ndミニアルバム『I come back again』をリリース。再び安保がプロデュースし、木村、綿貫も楽曲を提供した[51]。同年3月13日、「松元治郎 2nd LIVE」でも引き続き安保が参加、スペシャルゲストとして木村が参加したことで、第3期WANDSのメンバーが全員揃っての初のライブとなり、第3期WANDS時代の楽曲(シングル曲は全て)も披露された[52]。 2012年、映像作品『LEGEND of 90's J-ROCK「LIVE BEST & CLIPS」』がリリース、同日に『BEST OF WANDS VIDEO HISTORY』には含まれていなかった映像も多く含んだ『WANDS BEST LIVE & CLIPS』もリリースされた。2011年のB.B.クィーンズ再結成や、「BEING LEGEND Live Tour 2012」の開催によるT-BOLAN、FIELD OF VIEのが再結成など、90年代に活躍したビーイング系アーティストが再結成する流れが興る。2017年には大黒摩季がシングル『Lie, Lie, Lie,』をビーイングからリリースした。2019年にはZARDのトリビュートバンドとしてSARD UNDERGROUNDがデビューした。 2018年には、BREAKERZのDAIGOがかつてのビーイングのヒット曲をカバーしたアルバム『Deing』を、長戸によるプロデュースでリリースした。『世界中の誰よりきっと』、『もっと強く抱きしめたなら』もカバーされた。このカバーアルバムのリリースは、WANDSの再結成を望む声を高めたとされる[53]。 第4期(2019年)長戸は2018年頃からWANDS再始動に向けて動いていた。『Deing』に灰原大介名義でコーラス参加していた上原大史は[54]、エレベーターで長戸とすれ違うたびに「WANDSやらない?」と軽く誘われていた。上原は、最初は冗談のつもりだと思っていたが、2018年には長戸を介して上原が柴崎に紹介され、翌2019年に入ってからはWANDS再始動の動きが加速したという[55][56]。 こうして、ギターに柴崎、キーボードに大島という第1期のメンバーと新ボーカル上原という体制を第4期とし、楽曲の制作を行なっていた[57][58]が、大島は制作に専念するため脱退し、この間のCDリリースはなく、ファンの目の届くような活動もしていない。 第5期(2019年 - )第1期から第2期の流れと同じく、大島に替わって木村がメンバーに加わることが決定。2019年11月13日、上原、柴崎、木村の三人で第5期の活動が始まった[59][60]。11月17日に行われるフリーライブ『DFT presents 音都 ONTO vol.6 @堂島リバーフォーラム』の模様をYouTube Liveで生配信、2020年1月29日にシングル『真っ赤なLip』を発売することが併せて発表された。 2020年1月29日、WANDS第5期としては初めての楽曲となる『真っ赤なLip』を16thシングルとしてリリース。大島が作編曲を務めた。この曲はテレビアニメ『名探偵コナン』のオープニングテーマに使用された(使用期間は、2020年1月4日~9月26日)。同年5月20日、『抱き寄せ 高まる 君の体温と共に』をリリースし、オリコンのデイリーチャートで初登場首位を獲得した。なおこの曲はBSテレビ東京土曜ドラマ9『サイレント・ヴォイス season2』の主題歌に使用され、後に『たけしのニッポンのミカタ!』のエンディングテーマにも使用された。 同年10月28日、第3期として1998年にリリースされた『AWAKE』以来およそ21年ぶり、第5期としては初となるオリジナル・アルバム『BURN THE SECRET』がリリースされた[61]。同時に第5期で発表された全曲のサブスクリプション配信も開始された。WANDSの楽曲が公式にサブスクリプション配信されるのは、今回が初となる[62]。 WANDS第5期の活動が始まった直後の時期は、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行によって移動や密集が避けられていた時期であり、WANDSの活動にも大きな影響が出た。『抱き寄せ 高まる 君の体温と共に』のミュージック・ビデオは、大阪在住の上原と東京在住の柴崎、木村が集まることができなくなったため、三名のスタッフだけでメンバーを個別に撮ったものになった[63][注釈 9]。アルバム『BURN THE SECRET』のリリースと同じ時期に行う予定だった東名阪のライブツアーも中止になり、替わりにストリーミングライブ「WANDS Streaming Live 〜BURN THE SECRET〜」が開催された。パンデミックはメンバーにも影響し、2021年4月、このような情勢に対して不安感や過度なストレスを抱いていた木村が、療養のため活動を休止することを発表[64]。同年8月25日、上原の新型コロナウイルス感染を公表[65]。同時に27日に出演を予定していた音楽イベントへの出演辞退と、9月に開催を予定していたライブツアーの全公演中止も発表された[65]。9月6日、上原の体調回復が発表された[66]。 ただし、パンデミックの渦中にあってもWANDSとしての活動を止めることはなかった。2021年6月、18thシングル『カナリア鳴いた頃に』をリリース。木村がジャケットアートワークにのみ参加し、レコーディングには不参加の状態でリリースされたこの作品は、WANDS初のノンタイアップシングルだった。同年11月3日、19thシングル『YURA YURA』をリリース。2度目となるテレビアニメ『名探偵コナン』のオープニングテーマに使用された(使用期間は、2021年10月2日~12月25日)。同年12月には「やっと会えるね!!」と題したファンクラブ限定のファンミーティングが東京と大阪で開催された。 2022年8月、23日に配信シングル『愛を叫びたい』、28日に配信シングル『世界が終るまでは… [WANDS 第5期 ver.]』をリリース。なお「愛を叫びたい」は後に株式会社EMシステムズの企業 TVCM 主題歌に使用された。翌月には、2020年と2021年に断念した第5期として初となるライブツアー『WANDS Live Tour 2022 ~FIRST ACT 5th period~』が大阪、愛知、神奈川で開催された。このツアーのファイナル公演で発表されたBREAKERZとのツーマンライブ「ROCK BONDZ -WANDS × BREAKERZ-」が12月に東京と大阪で開催された。 2023年1月21日、2年前に療養のため活動休止していた木村が活動再開を発表[67]。体調と相談をしながら可能な範囲で活動を行う[68]。1月29日には、アプリ「ドラゴンボールZ ドッカンバトル」の8周年記念生放送に三人揃って出演し、アニメ『ドラゴンボールGT』EDテーマ『錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう [WANDS第5期 ver.]』のパフォーマンスを披露した。 同年5月17日、20thシングル『RAISE INSIGHT』をリリース。3度目となるテレビアニメ『名探偵コナン』のオープニングテーマに使用された(使用期間は、2023年3月25日~10月21日)。8月30日には、WANDSとして7枚目、第5期として2枚目となるオリジナル・アルバム『Version 5.0』をリリース。9月には、この作品を引っ提げたライブツアー「WANDS Live Tour 2023 〜SHOUT OUT!〜」が福岡、大阪、宮城、北海道、愛知、東京で開催された。第2期として1995年に開催された『LIVE-JUNK #2 PIECE OF MY SOUL』以来およそ28年ぶり、第5期として初となる全国ツアーだった。12月、ファンクラブ限定のファンミーティングが大阪と神奈川で開催された。 2024年1月5日、配信シングル『大胆』をリリース。同日公開となる映画『名探偵コナン vs. 怪盗キッド』のテーマソングとなる。名探偵コナンのTVシリーズ特別編集版にテーマソングがつくのは初めてのことである。また、同年4月10日には、CDシングルとしてリリースされた。このシングルには、第5期としては初めてカップリング曲に第5期のオリジナル曲が収録された。 同年5月31日、YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」にWANDSが初めて出演[注釈 10]。『世界が終るまでは… [WANDS 第5期 ver.]』のパフォーマンスを行った[69]。 同年6月から7月にかけて、愛知、大阪、東京にて第5期初となるホールツアー『WANDS Live Tour 2024 〜BOLD〜』及びそれに先駆けてファンクラブ会員限定ライブ『WANDS Live Tour 2024 〜BOLD〜 [VIP-LTD]』が開催された。このライブツアーにおける『大胆』のパフォーマンスが、10月16日にWANDSとしては初めてとなるライブ音源のデジタルシングル『大胆[LIVE ver. from WANDS Live Tour 2024〜BOLD〜]』としてリリースされた。 2025年1月22日、22ndシングル『Shooting star』をリリース予定。4度目のテレビアニメ『名探偵コナン』とのタイアップで、初めてとなるエンディングテーマである(2025年1月4日のオンエアから使用開始の予定)。 同年4月から5月にかけて、全国9都市9公演のホールツアーを開催予定。新潟、香川はWANDSにとって初上陸、広島は第5期にとって初上陸であり、第5期としては最大規模のツアーとなる。 ディスコグラフィ
WANDSはこれまでに7枚のスタジオ・アルバム、6枚のベスト・アルバム、21枚のCDシングル、5枚の映像作品をリリースしている。6枚あるベスト・アルバムのうち、WANDS解体後の3枚はメンバーの公認ではない。また、第1期と第5期はベスト・アルバムの発表を行っておらず、第5期に関しては第5期の楽曲が収録されたベスト・アルバムは存在しない。 2枚のコラボレーション・シングルを発表しており、いずれも第2期の作品である。 デジタルシングルを発表したのは第5期のみである。また、WANDS活動中に映像作品を発表したのも第5期のみである。 特記事項
シングルCDシングル
デジタルシングル
コラボレーション・シングル
アルバムオリジナル・アルバム
ベスト・アルバム
映像作品
参加作品
ネット配信
未発表アルバム
タイアップ一覧ライブライブを開催しているのは第2期と第5期のみ。
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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