Mr.ミスター
Mr.ミスター(ミスター・ミスター、Mr. Mister)は、アメリカ合衆国のバンド。1980年代半ばに2曲の全米1位ヒットを放った。 略歴活動期ロサンゼルスでスタジオ・ミュージシャンとして活動していたリチャード・ペイジ、スティーヴ・ジョージが1978年に結成した「ペイジズ」を前身とする。1981年のペイジズ解散後、ペイジとジョージはスタジオ・ミュージシャンへの復帰を経て、新たなメンバーにスティーヴ・ファリスとパット・マステロットを迎えた新バンドMr.ミスターを結成、1984年にデビューした。 この直後、リチャード・ペイジはボビー・キンボールの後任ボーカリストとしてTOTOに誘われ、また同時にピーター・セテラの後任ボーカリスト兼ベーシストとしてシカゴにも誘われた。両者とも超大物バンドであり、ペイジにとっては大出世の話だったが、自身のバンドを続けるためにいずれも断っている。 1985年、2作目のアルバム『ウェルカム・トゥ・ザ・リアル・ワールド』からシングルカットされた「ブロウクン・ウィングス」が全米1位を記録。続くシングル「キリエ」も1位、アルバムも1位の大ヒットとなり、バンドはブレイクした。 しかし1987年のアルバム『ゴー・オン』は意欲作だったもののセールスに恵まれなかった。このアルバムでは、リチャード・ペイジたちが矢沢永吉に提供した「サムシング・リアル」をカバーしている。 1989年にスティーヴ・ファリスが脱退。バジー・フェイトン(バズ・フェイトン)、トレヴァー・ラビンらのサポートで次作『PULL』をレコーディングしたが、レコードレーベルがリリースを拒否し、お蔵入りとなってバンドは翌1990年に解散した。なお、この『PULL』は20年後の2010年にリチャード・ペイジの自主レーベル「Little Dume」からリリースされて日の目を見ることとなった。 解散後の動向その後、それぞれのメンバーはスタジオ・ミュージシャンとしての活動を再開した。 リチャード・ペイジは、マドンナのシングル「アイル・リメンバー」の作曲を手助けした。これを機に知り合ったプロデューサー、パトリック・レナードとバンド「サード・マチネ」を組み、1994年にアルバム『Meanwhile』をリリース。その後ソロとして1996年に『シェルター・ミー』を発表するが、どちらもセールスに恵まれなかった。2003年には、竹内まりやの「純愛ラプソディ」を英語でカバーしている。また、2012年からはリンゴ・スターの「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」にベーシストとして参加。2013年2月に行われた日本公演では「キリエ」「ブロウクン・ウィングス」などを披露した。 スティーヴ・ファリスは、1997年にはホワイトスネイクのツアーにギタリストとして参加、2000年にはドン・ヘンリーのツアーに参加している。 スティーヴ・ジョージは、1991年から1997年までケニー・ロギンズの音楽ディレクターとしての仕事をし、1999年にはジュエルのツアーに参加。それ以後はソロ・アルバムをリリースする計画をすすめている。 パット・マステロットは、自身のバンド「プロメテウス」を経て、キング・クリムゾンやスティック・メンのドラマーとなった。 そして時を経た2023年、ペイジとジョージの誕生日を祝う名目で解散から33年ぶりに再集結し、一夜限りのプライベートライブが実現した[1]。 メンバー
ディスコグラフィアルバム
シングル
脚注
外部リンク |